史料

戦前の沖縄社会になぜ反社会的勢力が存在しなかったの考察 – 結社の概念なき社会その2

(続き)前の記事で廃藩置県以前の琉球社会には(一部の例外を除いて)結社の概念がなかったことを説明しましたが、今回は補足として女性たちの世界についても言及します。女性たちの世界の代表的なものに辻町、仲島、渡地(わたんじ)などの花街と那覇東町を代表とする市場があります。

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【りうきう黑史】首里城南殿と在沖米軍基地

首里城と言えば “琉球王国の象徴” という枕詞が目につく今日この頃ですが、それはあくまで近現代の発想であり、時代によって為政者や民間における首里城に対する捉え方は大きく異なります。

ちなみに当運営ブログにおける首里城は “不人気” のひとことですが、今回は(毎度おなじみの)黒歴史に絡めながら首里城の記事をアップします。

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森発言全文 – 日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会

この建物(ジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエア=JSOS)に、いろんな会議場があるんでしょうが、会議というものに参加したのが今回は初めて。実に立派な会議室だなと。

私どもの組織委員会の会議室とまったく違う。私どもの会議にはじゅうたんは入ってないです。つまり、我々の瞬間的な時間が決まった団体で、JOCは長い歴史がある。これからもスポーツの中心的役割を担うということだと思う。

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コザ暴動について – 新聞報道

今回は昭和45(1970)年12月20日付、および同月21日付琉球新報のコザ暴動に関する記事を紹介します。この事件のすごさは新聞記事にも反映されて、コザ暴動が発生したのが20日午前2時ごろですが、なんと当日朝刊13面に事件の一報が掲載されているのです。

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黒い芽 – 暴力追放総決起運動 / (6) 桃色遊戯

那覇市寄宮の沖縄大学裏通りから国場方面へ抜ける農道のそばに俗称 “七つ墓” と呼ばれる墓地があり、ススキやカヤ、草の低い雑木などにおおわれている。ここで昨年夏O少年ら “黒い芽” の不良グループが、桃色遊戯にふけって検挙された。古い墓地で、どの墓もここ数年、放ったらかされたままで、持ち主もお参りにこないようす。

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憎しみに果てるな

今回も、昭和46(1971)年11月10日の “沖縄ゼネスト警察官殺害事件” に関する史料を紹介します。この事件は当時のあらゆる社会階層に大きな衝撃を与えましたが、その好例として同年11月12日付琉球新報の社説を紹介します。

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山川警部殉職の状況 / 与那原警察署 山城常茂

1,はじめに

「11月10日」この日は私にとって忘れようとしても忘れられない痛痕の日である。

その日は復帰協を中心とする、ゼネストの日であった。

それ以前に、沖縄青年委員会会長と称する中核系の山城幸松が帰省しての記者会見の際

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黒い芽 – 暴力追放総決起運動 / (5) 盗み

「おい、カモが来たぜーサブ公!おめえやってみな」

「腕だめしだ、ドジ踏んだら裸でツイストだぞ」

「スパークしたら、路地に逃げ込むんだ。そこで俺が待っているからナ」 — 昼下がりの住宅街、くわえタバコの黒い芽たちが4~5人、ブロック塀にもたれて、ゲームの打ち合わせだ。話し合いは向こうからくるBGのハンドバックをひったくること。どうやら新入りらしい少年が、グループ加盟の実技テストをされる破目になったらしい。そこでただちに行動開始。

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黒い芽 – 暴力追放総決起運動 / (4) 家出

“ヤサグレ” といういん語がここでは、ある。

「オレ、とうとうヤサグレしてきちゃった」

「それに限らァ、家にいたってロクなことなんかありゃしない。だれもわかっちゃくれねェもンな」

「ネグラはどこにするかナ」

「どこだってあらァナ、××小学校にもぐり込んでもいいサ」

— とこんなぐあいに使う。つまり「家出」することがヤサグレ。どこからともなく仕入れてきた “黒い芽” たちの暗号である。本格的な非行がほとんどの場合この “ヤサグレ” から始まる。

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黒い芽 – 暴力追放総決起運動 / (3) リンチ

「オレたちから仲間割れしようたって、そうはさせねェ。ヘンな考え起こすと承知しねェぞ。のぼせあがって…」

「見せしめだ。みんなでのしちゃえ」

「だってアニキ…」

「構わねぇからやれ。少しぐれぇ痛い目にあわせにゃ目がさめねぇぜ」

そこで “ふくろだたき” の図が展開される。”指詰め” などと並んでやくざ映画につきもののリンチ(私刑)の典型的なケースである。

そのリンチ映画を地で行なったのが、さる2月5日の那覇市安謝での非行グループの集団暴行事件だ。

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黒い芽 – 暴力追放総決起運動 / (2) たまり場

“スキダァヨー、スキダァヨー

はァとが燃エルンダ…… “

— がなりたれるようなジュークボックス。”旭のツイスト” にのって投げつけるようなツイスト・ダンス。幾組もの男女 — といっても中学生か高校生ぐらいの “黒い芽” たちだが、文字通り “無我” の表情で足をはね上げ、腰をふり、手をバタつかせる。笑いと奇声がキンキン耳をつんざいて、すさまじい狂乱のムードである。

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黒い芽 – 暴力追放総決起運動 / 暴力地図(1)

“島ぐるみ” の「暴力追放」運動がはじまった。こんどの運動で、実施本部がとくに重点的に追い打ちをかけようというのが既成暴力団の根絶と併行して、小さいヤクザたちのしめ出し。「暴力つみとりは芽のうちに – をあいことばで、社会の裏側にはびこりつつある暴力の “黒い芽” に集中攻撃をかける構えだ。 – そこで、これら “黒い芽” の実態をさぐってみた。

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大りうちうについて

以前、当運営ブログに “首里場関連” のカテゴリーを追加しましたが、残念なことにブログ主の予想の斜め下をいく不人気ぶりに、記事をアップすることをすっかり忘れていました。だがしかし、本日付沖縄タイムス21面に見逃すことができない記事が掲載されていましたので、速攻で全文を書き写しました。

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沖縄の百年 第一巻 / 人物編 近代沖縄の人びと / 岸本賀昌

1868年(明治1)年那覇市に生まる。1882(明治15)年第一回県費留学生として上京、学習院や慶應義塾に学ぶ。沖縄県庁勤務から内務省に抜擢されて町村課の係長となり、石川県参事官、沖縄県参事官、同学務課長を経て1912年(明治45)年沖縄で初の衆議院議員選挙に当選、国政に参与する。晩年は那覇市長。公務で上京中1928年(昭和3)年病没。61歳

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私の戦後史第5編 / 沖縄タイムス社編 / 宮城嗣吉(3)

辻で遊び過ぎ、県下に「スーヤー三郎」で知られた私を、東京から帰ったばかりの仲宗根源和氏が訪ねてこられたのは昭和5年。用件は本土中央で船越義珍先生が「唐手術」として普及、発展させている武術を柔道、剣道同様に「空手道」として発展、普及を推進して行こうという。

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