史料

中世的意識のままのソ連労働者

今回は、沖縄の歴史とは直接関係はないのですが、小室直樹著『ソビエト帝国の崩壊』(光文社)の一節を紹介します。同著第1章第3節「中世意識のままのソ連労働者」(51~59㌻)からの抜粋ですが、資本主義社会とそれ以前の社会における労働者の意識の違いを分りやすく説明しています。我が沖縄における廃藩置県以前の労働者の行動様式を理解するうえでのもっとも参考になる一節ですので、読者のみなさん是非ご参照ください(文章のなかに現代にはなじまない表現が一部ありますが、今回は訂正せずに原文をそのまま書き写しました)。

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佐々淳行氏死去のニュースで思い出した話

今月10日、安全保障のパイオニアとして知られる佐々淳行氏が死去したとのニュースが報じられました(産経ニュース – 佐々淳行氏死去)。我が沖縄とは直接関連性はないのですが、治安あるいは抑止力の本質に触れた一節を思い出したのでこの場をかりて紹介します。長谷川慶太郎著『2016年世界の真実』の第5章「朴槿恵の韓国と習近平の中国」(146~150㌻)の中で佐々氏のエピソードが記載されていました。読者の皆さん是非ご参照ください。信じるか否かの判断はお任せします。

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アメリカ世を象徴する建築物

先日、松岡政保(まつおか・せいほ)氏の回顧録『波乱と激動の回想』を流し読みした際に、実に興味深い箇所を発見しました。それは同著343㌻から「歴代高等弁務官の思い出」について記している中で、琉球政府行政府ビルから米民政府が移転したエピソードを追記していることです。

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日共の対琉要綱 – 沖縄タイムスの社説

今回は昭和29年(1954年)8月30日に米国民政府から公表された『日共の対琉要綱』に対する沖縄タイムスの社説を掲載します。なお琉球新報は冷静な論評を掲載していた印象がありますが、沖縄タイムスの記事は辛辣そのもので、おそらく読者の皆さんもびっくりするかと思われます。

沖縄タイムスは昭和23年(1948年)7月1日、一般紙として発刊されました。戦前の『沖縄朝日新聞』のメンバーが中心になっての創刊ですが、同時期に営業していた『うるま新報』と違いは沖縄民政府とは完全に距離を置いていたことです。それ故にこの時期のタイムスの記事を読むと、可能な限り米国民政府や琉球政府に距離を置く姿勢が見受けられます。

にもかかわらず沖縄人民党に対して極めて厳しい社説を公表している点は注目されます。ブログ主の責任をもって内容をまとめると、「真意を隠しての政治活動は実に迷惑極まりない」になり、はっきり言えば「最低」ということです。読者のみなさんぜひご参照ください。

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日共の対琉要綱 – 琉球新報の社説

これまで当ブログにて昭和29年(1954年)8月30日に米国民政府(USCAR)から発表された『日共の対琉要綱』について記事にしました。当時の地元紙(沖縄タイムス、琉球新報)にこの対琉要綱に関する社説等が掲載されていましたので、しばらく数回にわたって史料として掲載します。

この日本共産党(以下日共)から沖縄人民党に配布された(とされる)指令書に対して、当時の新聞は厳しいコメントを発表しています。とくに琉球新報は前身のうるま新報時代(1945~1951)に一時期人民党と密接不可分の時代がありましたので、人民党の変質に関する記事内容には信憑性が感じられます。新報、タイムスともに共通なのが「ああ、やっぱり」という本音で、やはり当時の人たちは日共と人民党との”つながり”をうすうす感じ取っていたと思わざるを得ません。

今回は昭和29年(1954年)8月31日の琉球新報朝刊『金口木舌』、および同年9月1日の同紙朝刊社説を抜粋します。これらの記事で興味深いのは、マスコミ関係者からも人民党の活動が祖国(日本)復帰運動の妨げになるとの認識があったことです。社説に関しては「共産党の非合法化は賛成も、行き過ぎは慎むように」との全うな内容で、施政権者である米国民政府のプレッシャーを感じつつも新聞社としてのプライドを表明した良記事だと感心した次第であります。

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日共の対琉要綱 – その4

昭和29年(1954年)8月30日、米国民政府から発表された「日共の対琉要綱」は当時の沖縄社会に衝撃を与えます。そして翌日以降の地元紙(琉球新報、沖縄タイムス)には共産主義の脅威を警戒する旨の社説等を掲載しました。ただしこの指令書とやらはブログ主が思うには実に出来が悪く、本当に日本共産党からの指令か否か判断がつきにくい部分もあります。理由はいやしくも公の政党たるもの中二病を拗らせているとしか思えない人物が書きそうな文章を本気で書くとは思えなかったからです。

実際に沖縄人民党も「これはでっちあげ」と主張していて、正直なところこっちのほうが信憑性あるのかなと考えていたのですが、同年10月19日、米国民政府および琉球政府宛に日本共産党から送られた文書を読んで考えを改めざるを得ませんでした。10月20日付琉球新報の記事から該当の部分を抜粋しますので、是非ご参照ください。

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【暫定】不屈さんの黒歴史で打線を組んでみた

現在ブログ主は「日共の対琉要綱」に関連する史料をチェックして記事を掲載していますが、これまで蒐集した”不屈さんフォルダー”のデータを再確認したところ、これまで(公式では)語られることのなかった逸話?が多数ありましたので、今回は軽い気持ちで彼のエピソードで打線を組んでみました。個人的には人間らしいエピソードと思いますが、信じる信じないは読者の皆様にお任せします。では早速ですがご参照ください。

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史料 – 喜友名の獅子群

平成27年(2015年)11月22日発行『喜友名誌 ちゅんなー』より石獅子群に関する記述がありましたので抜粋します(89~95㌻)。さすがに地元自治体の人達が編集・敢行しているだけあって、詳細かつ興味深い記述になっています。是非ご参照ください。アイキャッチ画像はブログ主撮影時点(平成30年6月18日)の 徳伊礼小(トゥクイリグァー・メー)の石獅子です。

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日共の対琉要綱 – その3

前回記事において、昭和29年(1954年)8月31日および同年9月1日付琉球新報に掲載された『日共の対琉要綱』の全文を掲載しました。当時の沖縄マスコミにはこの案件に関する社説などの記事が掲載されていましたが、この件に関しては後日改めて当ブログにて史料としてアップします。今回は「日共の対琉要綱」前文を読んだブログ主の感想を掲載します。

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日共の対琉要綱 – その2

前回当ブログにおいて、米国民政府(USCAR)が発表した『日共の対琉要綱』の前半部(1~29項)を紹介しました。今回は後半部(30~54項)を掲載します。ちなみになぜ米国民政府が日本共産党の対琉指令と思われる書類を公開したのかを考えてみたところ、その理由はただひとつ「琉球政府に防共法を制定してほしい」意向があったからです。そのあたりの流れをブログ主が調子に乗って図解しましたのでご参照ください。

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