史料

祖国復帰は沖縄県民自身が選び取った歴史です

新年明けましておめでとうございます。今年は、沖縄県が日本に復帰して50周年という節目の年でございます。

50年前に祖国復帰の瞬間を沖縄で迎えた方も多いと思います。一方、大学進学や就職によって故郷沖縄を離れ、ニュースなどで沖縄が日本に復帰した瞬間をご覧になった方もいらっしゃると思います。

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新春の宴 – その2

(続き)今回は “こども御開門” の後に有料区域内に入場し、現在進行中の “見せる復興” の様子を公開します。令和2年(2020)6月12日に入場した時に比べるとだいぶ様子が違っていましたので、その点を中心に編集しています。

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新春の宴 – その1

令和4年元日、ブログ主は首里城公園を訪れて “見せる復興” の現場を見学しました。毎年恒例の新春イベントとプラスして現在の首里城公園(有料区域含む)の様子をアップしますが、写真の撮影枚数が予想以上に多くなったため、2度に分けて記事を掲載します。読者のみなさん、是非ご参照ください。

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よど号赤軍派の記者会見(初)

今回はブログ主から読者の皆さんへの “クリスマス・プレゼント” として(笑)、昭和47年5月1日付琉球新報夕刊3面に掲載されていたよど号赤軍派メンバー記者会見の記事を紹介します。

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売春の実態探る / 夜の「吉原」(2)

閑古鳥鳴くバー街 24日午後6時、吉原内の中間にあるT字型道路横のかっぽうが開店準備。売防法が実施される以前は遊び、酔い客でにぎわっていたが、最近では閑古鳥が鳴くといったしまつ。男3人、女2人の従業員が店先で雑談しながら客待ち。そばを仕入れにきた行商人が「景気はどうか」と聞いていたが、店の従業員は「ごらんの通りだ」とションボリ。

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売春の実態探る / 夜の「吉原」(1)

【コザ】「更生保護政策の裏付けのない売防法の実施は無意味だ」。花柳街として広く知られるコザ市、美里村にまたがる特殊婦人の町「吉原」からは何の保護措置も受けないまま夜の女たちが新しい生活を求めて毎日のように1人、2人と姿を消していく。一方管理売春業者は「転業の見通しはないし、女には逃げられるので全くお手あげだ」とボヤク。

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満韓旅行雑感(下)/ 中学生生徒 又吉康和

◎朝鮮人は 白衣(麻○絹)を着、異様の帽子を戴き、何んとなく神代ゆきたる感あり。朝鮮鞋(=靴)又甚だ面白し。士族以上の女は頭より衣服を被(かぶ)り居れり、之又甚だ異様に感じぬ。始めて来たる日本人が遠望して「扨ても朝鮮は美人多き所よ」と思ひしに、よく見れば痘痕(朝鮮は痘痕の多き由)あとにて失敗せし話ありと〔云ふ〕。彼等は常に長き(三尺ばかり)烟管(えんかん=キセル)を持てり。あゝ之れ彼の国民をして懶情(らいだ)不活発となせし一原因か!

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戦前の沖縄社会になぜ反社会的勢力が存在しなかったの考察 – 結社の概念なき社会その2

(続き)前の記事で廃藩置県以前の琉球社会には(一部の例外を除いて)結社の概念がなかったことを説明しましたが、今回は補足として女性たちの世界についても言及します。女性たちの世界の代表的なものに辻町、仲島、渡地(わたんじ)などの花街と那覇東町を代表とする市場があります。

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【りうきう黑史】首里城南殿と在沖米軍基地

首里城と言えば “琉球王国の象徴” という枕詞が目につく今日この頃ですが、それはあくまで近現代の発想であり、時代によって為政者や民間における首里城に対する捉え方は大きく異なります。

ちなみに当運営ブログにおける首里城は “不人気” のひとことですが、今回は(毎度おなじみの)黒歴史に絡めながら首里城の記事をアップします。

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森発言全文 – 日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会

この建物(ジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエア=JSOS)に、いろんな会議場があるんでしょうが、会議というものに参加したのが今回は初めて。実に立派な会議室だなと。

私どもの組織委員会の会議室とまったく違う。私どもの会議にはじゅうたんは入ってないです。つまり、我々の瞬間的な時間が決まった団体で、JOCは長い歴史がある。これからもスポーツの中心的役割を担うということだと思う。

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コザ暴動について – 新聞報道

今回は昭和45(1970)年12月20日付、および同月21日付琉球新報のコザ暴動に関する記事を紹介します。この事件のすごさは新聞記事にも反映されて、コザ暴動が発生したのが20日午前2時ごろですが、なんと当日朝刊13面に事件の一報が掲載されているのです。

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黒い芽 – 暴力追放総決起運動 / (6) 桃色遊戯

那覇市寄宮の沖縄大学裏通りから国場方面へ抜ける農道のそばに俗称 “七つ墓” と呼ばれる墓地があり、ススキやカヤ、草の低い雑木などにおおわれている。ここで昨年夏O少年ら “黒い芽” の不良グループが、桃色遊戯にふけって検挙された。古い墓地で、どの墓もここ数年、放ったらかされたままで、持ち主もお参りにこないようす。

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憎しみに果てるな

今回も、昭和46(1971)年11月10日の “沖縄ゼネスト警察官殺害事件” に関する史料を紹介します。この事件は当時のあらゆる社会階層に大きな衝撃を与えましたが、その好例として同年11月12日付琉球新報の社説を紹介します。

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山川警部殉職の状況 / 与那原警察署 山城常茂

1,はじめに

「11月10日」この日は私にとって忘れようとしても忘れられない痛痕の日である。

その日は復帰協を中心とする、ゼネストの日であった。

それ以前に、沖縄青年委員会会長と称する中核系の山城幸松が帰省しての記者会見の際

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黒い芽 – 暴力追放総決起運動 / (5) 盗み

「おい、カモが来たぜーサブ公!おめえやってみな」

「腕だめしだ、ドジ踏んだら裸でツイストだぞ」

「スパークしたら、路地に逃げ込むんだ。そこで俺が待っているからナ」 — 昼下がりの住宅街、くわえタバコの黒い芽たちが4~5人、ブロック塀にもたれて、ゲームの打ち合わせだ。話し合いは向こうからくるBGのハンドバックをひったくること。どうやら新入りらしい少年が、グループ加盟の実技テストをされる破目になったらしい。そこでただちに行動開始。

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