中国が「三国志」なら、コザ派(山原派)那覇派、普天間派、泡瀬派の四派が覇を競ってせめぎ合った沖縄ヤクザは、さながら「四国志」の世界だった。
そこで主役を張ったのはどういう男だちだったのか?
ここでは、その中の六人に焦点をしぼり、三代目旭琉会・金星一家金城正雄総長のコメントをもとに、その人物像を描き出してみた。
三代目旭琉会金星一家・金城正雄総長は、ごく初期のころから那覇派の首領・又吉世喜の舎弟分として那覇派の実務面を取り仕切ってきた。その実績が買われ、彼は沖縄連合旭琉会の結成時から二代目旭琉会の時代まで、事務総長の要職を務めた。三代目になって役職は後進に譲ったが、三代目旭琉会にあってはいわば長老格にあたる人物である。
金城総長は若い時代、又吉世喜と起居を共にしていたこともあって、連合以前の那覇派はもとより、沖縄ヤクザ全般についての生き字引的存在である。