今月24日、東京・国立劇場で開催された天皇陛下在位30年記念式典において、歌手・三浦大知さんが両陛下作詞・作曲された「歌声の響き」を独唱しました。このことは両陛下の沖縄に対する想いが特別であることを意味しますが、その理由として昭和天皇の悲願であった沖縄行幸が実現できなかったことへのご無念を少しでも晴らしたいお心からだと推察できます。
”戦果”に関する沖縄タイムスの見解
今回は”戦果”に関する沖縄マスコミの態度について紹介します。昭和24 年(1949年)7月17日付沖縄タイムスにおいて”戦果”に関する社説が掲載されていました。ブログ主が確認した限りでは、おそらく戦果に言及した初の社説です。原文は少し読み辛いところがあるので、ブログ主にて旧漢字を訂正、必要に応じて句読点などを追加しました。この社説は当時の沖縄タイムスの社会における”ステータス”を伺う上で極めて興味深い内容で纏められてます。読者の皆さん、是非ご参照ください。
昭和あるある – 暴力追放宣言決議(全文)
昭和 51 年(1976 年)12 月 6日、暴力団上原組が那覇市安謝の曙町に”山口系大平組直系上原組”の看板を掲げたことで、地域住民および那覇市が大さわぎになった案件があります。第四次沖縄抗争のいきさつについての説明は割愛させていただきますが、同月 12 月 17 日の那覇市定例議会では、本会議冒頭にて「暴力追放宣言」を採択、同月 19 日には那覇市安謝で「暴力追放住民総決起大会」も開催され、その結果上原組は安謝から撤退せざるを得なくなりました。この件に関して 17 日付琉球新報から該当する記事を書き写しましたので、読者の皆さん是非ご参照ください。
琉球新報社編 – ことばに見る沖縄戦後史
今回は参考までに琉球新報社編『ことばに見る沖縄戦後史』より、戦果に関する記事を紹介します。ブログ主が確認した限りですが、この記述が一番わかりやすい内容となっています。読者のみなさん、ぜひご参照ください。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 戦果編
戦後から復帰前までの沖縄を舞台に「戦果アギヤー」をヒーローにした青春小説「宝島」が、沖縄県内で異例の大ヒットを飛ばしているようで、沖縄県立図書館にも貸出予約が殺到しているようです。
直木賞「宝島」、読めるのは3年後!? 沖縄県立図書館に予約殺到
残念ながらブログ主はまだこの小説を読んでいませんが、昭和 20 年から 27 年ごろにかけての”戦果”の実態についてはある程度把握してますので、今回蒐集した史料の一部を公開します。注意点として現代人にも読みやすいように記事の旧漢字は訂正し、必要に応じて句読点も追加しました。あと印刷つぶれの箇所は無理に推測はせず●で表記してます。ホントは怖い”戦果”のお話、読者のみなさんぜひご参照ください。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – スポーツ編
平成30年(2018年)10月6日付の “Number Web” に “プロ野球選手の昔の風格が凄かった!衣笠祥雄の秘蔵写真とカメラマン秘話” と題したコラムが掲載されてましたが、その中の全日空ボーイング737機のタラップから降りてくる広島東洋カープの選手たちの写真を見たときに、ブログ主は最初絶句その後爆笑してしまいました。
とある訃報記事をみてびっくりした件
先日、沖縄県立図書館で復帰直後の新聞をチェックしていたところ、とある市議の訃報記事に目が留まりました。昭和50年(1975)3月24日付琉球新報夕刊に掲載された小さな記事ですが、ブログ主にとっては驚きの内容でしたので該当部分をコピーして持ち帰りました。試しに同年同日の沖縄タイムスにも同様の訃報記事が掲載されていましたが、今回は琉球新報の記事を紹介します。読者のみなさん是非ご参照ください。
第47回沖縄県高校野球部対抗競技大会の結果
先月12日に、宜野湾市立グランドほかで第47回沖縄県高校野球部対抗競技大会が開催され、今年は興南高校が469点の歴代最高レベルの得点をマークして優勝しました。オフ(冬場)の基礎体力等トレーニングの向上を目的に昭和47年(1972年)から開催された競技会も今年で47回目、もはや全国的にも有名になった沖縄高校野球独自のイベントです。今回は過去3年間および、ブログ主がチェックした第36回大会以降のデータを参照に、今年の高校野球界の展望を調子に乗って語ります。読者のみなさん、ぜひご参照ください。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – ツミジュリの情夫狂い
気が付くと当ブログも今回で 600記事の配信となりました。平成28(2016)年5月19日から開始して2年余り、よくぞここまで続けることができたもんだとちょっと自分を褒めつつ、目標の 1000記事配信まで気合を入れて頑張ろうと決意を新たにした次第であります。
今回は600記事配信企画として、明治時代の鬼女のお話を紹介します。明治31(1898)年8月29日から3回にわたって琉球新報にて連載された『ツミジュリの情夫狂い』と題する物語で、現代の”鬼女速”に掲載されているような内容です。ただし現代ではあまり使われない用語が複数ありましたので、ブログ主でいくつか説明すると、
平成31年度首里城公園「御内原エリア等」開園記念キャンペーン – 琉球泡盛の粋 in 銭蔵
すこし前の話ですが首里城内御内原エリアが無料開放されていた時期に、”銭蔵(ぜにくら)”と呼ばれる場所で”琉球泡盛の粋 in 銭蔵”と題した泡盛に関するパネルが提示されていました。せっかくなのでブログ主でパネルを撮影して書き写しました。読者の皆さん是非ご参照ください。
実は書き写した理由の一つにパネル内の誤字脱字が予想以上に目立ったことがあります。この手のイベント用パネルでは極めて珍しいのですが、それだけ泡盛業界に元気がないことの傍証でしょうか。誤字脱字の部分はブログ主で訂正しました。
残波岬の決闘
今回は “残波岬の決闘” について記事を纏めてみました。ブログ主が確認した限りでは “残波岬の決闘” と思わしき事例は2件あり、一つが昭和 29年(1954年)の那覇とコザのアシバーたちの揉め事に関するものと、もう一つが昭和39年(1964年)の空手道場の門下生間のトラブルに関するものです。この2件は実際に決闘は行われなかったようですが、もしかしたら他にも決闘の事実があるかもしれません。
昭和29年の決闘について、比嘉清哲著『沖縄警察五十年の流れ』から関連項目を抜粋しました。読者のみなさん是非ご参照ください。
残波岬の決闘(昭和39年度)
昭和39年(1964年)の”残波岬に決闘”に関しては相反する伝聞情報が多くてどれが事実か判断できません。現時点で公開されている情報を二つ掲載します。
沖縄のマスメディアが過去に実施した啓蒙活動の一例
以前、当ブログにて”沖縄のマスコミは本当に偏向しているのか”の記事を配信し、その中でマスコミの体質が今も昔も”啓蒙”であることを指摘しました。今回は過去の啓蒙活動の実例を紹介します。
昭和15年(1940年)8月25日付沖縄朝日新聞社の特集号『第二回皇軍慰問号』の中に戦地の兵隊さんに向けての小学生の激励文が掲載されていました。啓蒙活動の一環として未成年を使う辺りは、いまも昔も変わりません。読者の皆さん是非ご参照ください。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – うるま新報編
今回の突っ込まざるを得ないシリーズは、昭和24年から25年にかけて『うるま新報』に掲載された記事をピックアップしました。沖縄戦後のドサクサで社会秩序が混乱していた時期らしく、じわじわくる事件が満載です。秀逸なのがタイトルの付け方で、この点は現代の記者よりも優れているのではと思います。読者のみなさん、ぜひご参照ください。
現存する最古の太田朝敷関連の史料
今回は現時点で確認できる最古の太田朝敷先生の史料を紹介します。沖縄県立図書館で公開されている明治27(1894)年12月16日付『琉球新報』の中に “大田朝敷” 名義の署名広告と国頭地方を巡回視察した記事、および日清戦争に関する記事が掲載されてました。平成5(1993)年以降に刊行された『太田朝敷選集(上・中・下巻)』には掲載されていない史料になりますが、それは同記事の発見が2000年以降であったのが理由で、もしかすると今回初めての一般公開になるかもしれません。読者のみなさん、是非ご参照ください。













