琉球・沖縄の歴史における個人的な謎

琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その2

琉球王国時代の教育制度は19世紀に完成します。教育機関は都市部である首里と那覇に設置*されていました。入学資格があるのは士族のみ(那覇や首里にも少数ながら町百姓が住んでいました)で、入学時期は7歳からです。

*首里と那覇(あるいは久米)では進学ルートが違いますが、入学の時期と受講内容はほぼ同じです。 

最初に入学する村学校(現在の小学校に相当)では主に漢学を受講します。1875年(明治8)12月に河原田盛美氏がその著書「琉球紀行」で那覇市内の4つの学校(西村、東村、若狭町、和泉崎)を視察した件が記載されていますので、一部紹介します。

続きを読む

琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その1

過去のブログを総点検している際に、現在連載している「誤解だらけの琉球藩の時代」の前の「琉球・沖縄の歴史の個人的な謎」で近代にいたるまで女性が文字を読めなかった件を記事にアップしていないことに気が付きました。琉球藩の時代で当時の政治・社会情勢についてある程度詳しく記載しましたので、ここで琉球王国時代に女性が文字を読めなかった件をアップします。この記事は是非女性の読者に読んでいただきたいです。

1872年(明治5)に琉球王朝が琉球藩に鞍替えした際に、現在の那覇市西町に設置されていた(旧薩摩藩の)在番奉行所を明治政府は外務省出張所として利用します。そして政府側から伊地知貞馨、奈良原幸五郎をはじめ役人を派遣して琉球藩庁の為政者たちとの折衝を行います。

その時来琉した知識人で農学者の河原田盛美氏(1842~1914)が当時の琉球社会の様子を記述した著書を刊行しています。その著書「琉球紀行」のなかに「琉地曾て女子に学問を為さしめず。その蕃たる大甚し」との記載があります。河原田氏が来琉したのは1875年(明治8)ですから、当時の琉球藩内の女性は文字が読めなかったことになります。

続きを読む

琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 男色の慣習がなかったこと その5

日本の歴史において男色は僧侶の慣習から武士の慣習と伝播します。このことは、仏教が武士の間でも深く信仰されていたことを物語るのですが、琉球・沖縄の歴史において13世紀末にに伝来した仏教から士族の間に男色の慣習は広まりませんでした。

琉球王国時代の宗派は臨済宗真言宗です。沖縄最古の寺院は護国寺(沖縄県那覇市若狭)で宗派は真言宗です。真言宗が伝来したにも関わらず、男色の慣習がもたらされていないのはどう考えてもおかしいのですが、問題は歴史家が其の点に気がついていないことです。

続きを読む

琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 男色の慣習がなかったこと その4

琉球・沖縄の歴史において辻町などに代表される風俗街が誕生したのは約500年前です。風俗産業に従事する女性のことを尾類(ジュリ)と呼びますが、琉球の風俗産業の担い手はすべて女性で実はまったく男性が関与していなかったのです。

日本の風俗産業の場合は中間搾取者として必ずと言っていいほど男性の存在がありますが、琉球・沖縄の歴史では1945年(昭和20)まで風俗産業に男性は一切関わっていなかったのです。このことは性産業を考える上では異例この上ないと言っても過言ではありません。

続きを読む

琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 男色の慣習がなかったこと その3

「沖縄の艶笑譚」という本があります。内容は「民謡昔エロトーク集」で庶民や士族の下ネタ中心に不倫や複数プレイ、果ては獣姦のエピソードまで記載されていて良い子の皆さんには読んで欲しくない本です。ただし何事にも例外があってこの本には男色のエピソードが一つも記載されていないのです。

オモロにも琉歌にも文学にも男色をテーマにした作品はありません。例外として組踊りの二童敵討にそれらしき記載があるのみでしょうか。この作品は親の敵を討つのがテーマで男と男の痴話のもつれから刃傷沙汰になった訳ではありません。衆道敵討ち*とは全く違います。

続きを読む

琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 男色の慣習がなかったこと その2

琉球と薩摩とは1609年以前にも付き合いがあります。数百年来の長い交流があるのですが、それにしては薩摩から持ち込まれた文化がほとんど見当たらない*のです。薩摩を経由して日本の文化が持ち込まれますが、沖縄を実質的に支配してきた国の慣習が持ち込まれないことはよく考えると異様です。

*琉球侵攻における戦争目的は明国との貿易利権の確保です。琉球人が薩摩化するとどうしても不都合が生じてしまうため、薩摩藩は琉球人と薩摩人との区別を強調する政策を取ります。おかげで薩摩と琉球王府の関係は良好で、270年にわたる平和と安定の時代が訪れます。

続きを読む

琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 男色の慣習がなかったこと その1

日本の歴史に於いて最も人気が高い時代は織田信長などの戦国武将が大活躍した戦国時代か、あるいは新撰組の物語が有名な幕末でしょうか。戦国時代(1467~1590)は京都の足利家の凋落から豊臣秀吉による天下統一までのストーリーに興味を引かれる読者も多いでしょう。登場人物の魅力にも大いに惹かれます。

そんな戦国時代ですが歴史教科書には決して載せない事項があります。タブー扱いになっていますが、それは人身売買戦国武将たちの男色の慣習です。例えば織田信長*は女性よりも男性との性的交渉が多かったなどと教科書に記載することはできないでしょう。歴史教育ではタブー扱いでも問題ありません。

続きを読む

琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 イスラム教が普及しなかったこと その7

琉球国にイスラム教が普及する可能性は1511年(永正8)にポルトガルがマラッカを占領し事実上南方との交流が制限されたことで限りなくゼロに近づきます。1609年(慶長14)には島津氏による琉球侵攻及び江戸幕府による海禁政策によってイスラム教はおろか新しい宗教が普及する可能性もゼロになります。

明治の世になってようやく信仰の自由が保障され、その結果禁教扱いだった浄土真宗やキリスト教が普及しますがこの期に及んでもイスラム教は蚊帳の外です。大正→昭和→平成の世を経ても普及する様子はありません。

イスラム教圏ですらアメリカナイズされつつある今日、沖縄に於いてイスラム教が普及する可能性はゼロと言わざるを得ません。1372年から1511年の交易時代に布教のタイミングを逃したことがすべてです。趣味や学問として研究することはあってもイスラムの教えに帰依する沖縄県民は今後出現しないと断言せざるを得ません(終わり)。

にほんブログ村 歴史ブログ 琉球・沖縄史へ
にほんブログ村

琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 イスラム教が普及しなかったこと その6

では当時の琉球国においてイスラム教の普及の可能性はゼロだったのか?というとそんなことはありません。実は画期的な方法があったのです。イスラム教は女性にも門戸を開いている宗教です。この点は誤解されている読者も多いでしょう。男女の区別は明確ですがイスラムの教えに帰依することに対しては性別の差別はないのです。

事実イスラムの歴史には女性の法学者や伝承学者が多数存在します。廃藩置県まで女性を学問から排除した琉球の社会構造に比べるとイスラム教のほうが遥かに女性尊重の姿勢です。そこで当事の琉球社会に於ける最高の権威である聞得大君をはじめ神女が全員イスラムの教えに帰依すればあっという間にイスラム教は広まったこと間違いありません問題はこのアイデアに誰も気が付かなかったことです。

続きを読む