琉球・沖縄の歴史における個人的な謎

琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編その1

前回までに琉球王国(あるいは琉球藩)の時代において女性が文字が読めずに学問と無縁な件について記述しました。予定よりも長編になってしまいましたが、この件は琉球・沖縄の歴史を考察する上で極めて重要とブログ主は確信しています。現代の歴史家がこの点について冷淡なのは正直解せませんが、文句を言ってもしょうがないので調子に乗って今回の記事をアップします。

以前に女性が文字が読めずに学問の世界から遠ざけられた結果、伝統主義的な思考から抜け出すことができない件の典型例として、ハジチ(手の甲への入れ墨)の慣習を取り上げました。今回は番外編として当時の社会で(もしかすると現代でも)深刻な問題であったユタの件を取り上げます。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その14

少し長くなりましたが、琉球王国(あるいは琉球藩)の時代において、女性が文字を読めずに学問の世界と無縁であることの弊害について説明しました。その弊害は繰り返しますが

1.18世紀以降、那覇において小売業は発展したが、女性の経営者がついに誕生しなかったこと

2.行動様式が旧態依然で、なかなか伝統的な発想から脱却できなかったこと

になります。とくに2番が重大な弊害で、伝統主義的な思考法の最大の欠点である「新しい時代への対応」が男性にくらべて決定的に遅れてしまったのです。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 挿話

今回は、すこし横道にそれますが前回の記事に貼り付けしたアイキャッチ画像について説明します。撮影時期と場所は不明ですが明治時代から昭和にかけての女子学生の服装の変遷がハッキリわかる貴重な写真です。

写真は「那覇百年のあゆみ、那覇市企画部市史編集室、昭和55年刊行」から抜粋したもので、写真右から順に明治→大正→昭和の順になっています。「那覇市百年のあゆみ」の説明文を参考に女生徒の服装の移り変わりを説明します。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その13

前回ハジチの慣習が廃れた理由の一つに明治32(1899)年に施行された入墨禁止令がきっかけで沖縄県内からハジチセークが激減したことを挙げました。今回はもう一つの理由として女子教育の普及について述べます。

沖縄における女子教育は男性に比べるとだいぶ遅れてスタートします。ブログ主が確認できた最初の記録は明治19(1885)年に那覇市西町にあった師範学校付属小学校に女性徒3名が入学した件です。(那覇百年の歩み、那覇市企画部史編集室、昭和55年発行より確認)

廃藩置県後は女子に限らず男子の就学率も非常に低かったのですが、日清・日露の2大戦役に日本が勝利することで就学率が激増します。大正期に入ると男女ともに小学校の就学率が90㌫を超えるようになり、教育の普及が完全に軌道にのります。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その12

沖縄本島のハジチ

現代の沖縄県の女性の手の甲は真っ白です。ハジチの慣習は前述した通り大正終わりから昭和にかけて廃れますが、この慣習はアメリカ軍の占領行政時代にも復活しませんでした。この件は沖縄の女性史を考察するうえで極めて重要なので詳しく述べたいと思います。

アメリカ世(アメリカユー)になって復活した(女性の)慣習は多々あります。代表的なのが浜下りですが、神女(ノロ)の年中行事や後述するユタやユタコーヤー(ユタ買い)も復活します。逆に復活しなかった慣習にモーアシビー(毛遊び)とハジチがあります。モーアシビーに関しては今回は取り上げませんがハジチの慣習は何故復活しなかったのでしょうか?

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その11

入墨する琉球女性

琉球王国(あるいは琉球藩)の時代の女性は伝統主義的な思考法から逃れられない環境にありました。前に説明した通り伝統主義的な思考法は良い伝統と悪い伝統を区別しません。だから当時の琉球人は昔ながらの慣習をそっくりそのまま引き継いで社会生活を営みます。

では当時の琉球王国における女性の代表的な慣習は何でしょうか?その答えは手甲への入れ墨(ハジチ)ですハジチの慣習は何時頃から始まったかは不明ですが少なくとも数百年の歴史があり、特筆すべきは貴賤問わずすべての女性たちが手甲に墨を入れていたことです。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その10

琉球士族

前回までの記事で、那覇の女性商人たちからついに近代的経営者が誕生しなかった件を説明しました。ここからは琉球王国(あるいは琉球藩)の時代において女性が文字を読めず、学問の世界から遠ざけられたもう一つの弊害について記述します。それは廃藩置県までの琉球の女性たちが伝統主義の思考法から抜け出すことができなかった点です。

まず初めに伝統主義について説明します。伝統主義は「これまで続いてきた慣習は、その事実だけで絶対的に正しく、今後もこれまでの慣習通りに行動する」という思考法です。旧慣墨守と言い換えたほうが分かりやすいかもしれません。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その9

廃藩置県後の沖縄県の産業経済活動は寄留商人(鹿児島系)などの県外人によって牛耳られてしまいます。廃藩置県後は県内移入の物資と県外移出の商品が激増したため、経理に長けた日本人たちでないと商品の流通を取扱うことができなかったのです。

時代の変化に那覇の女性商人たちは無力でした。彼女らは算数を知らないために巨額の金額を取り扱うことができませんでした。彼女らは従来の露天商売を行うのみで、前述した通り近代的な経営者に転身した人物は一人もいませんでした。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その7

前回で女性が文字を知らず、学問の世界から遠ざけられていたための社会的弊害について記述しました。その弊害は後世にまで及んだのですが、その1つに産業経済の面で女性の経営者がついに誕生しなかったことがあります。

18世紀中盤の琉球王府の政策の一つに士族の商業推奨があります。理由は18世紀になると琉球国の士族人口が増加して、王府が士族全体に職を提供できなくなったからです。王府は士族に対する課税を免訴して他の職業で収入を得るように方針転換します。(ただし士族の子女を尾類(ジュリ)に売る行為は禁止されます)

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その6

前回までに琉球・沖縄の歴史において文字が読めたかもしれない女性の階層が2つあることを記述しました。神女の階級と尾類(ジュリ)たち直筆の書が発見されていないため文字の読み書きができた確証はありません。ただしこの2つの階層には共通点があります。それは独自の文化を継承してきたことです。

それに対して士族の女性たちは独自の文化を形成していません。例外は18世紀中ごろの那覇の士族の女性たちで彼女らは那覇の小売業の中心的な存在になります*。

*昭和の終わりごろまで那覇の平和通り(国際通り)で女性たちの露天商を多く見ることができました。現在でも少数ですが平和通りで小商いをするオバァたちがいます。これは300年近く続いた那覇の女性たちの慣習です。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その4

前回まで琉球王国時代(あるいは琉球藩の時代)には女性は文字の読み書きができなかった件を記述しました。正確に言うと「史実で文字が読める女性を確認できない」のですが、もしかすると文字が読めたかもしれない女性の階層が2つあります。

まず考えらるのが地方の神女(ノロ)たちです。彼女らは琉球王府から正式に辞令を受けて初めて神女としての任務を全うできたのですが、その辞令書は和文で記載されていました。琉球王府時代に交付された辞令書は高良倉吉先生が精力的に調査していますので、その著書「琉球王国」より当時の辞令書を抜粋します。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その3

前回は都市部の士族たちの教育システムや講義内容について記載しました。では人口の多数を占める農村部はどのような教育事情だったのでしょうか。

琉球王国時代は士族は都市に、百姓は農村に住むよう規制されていました。学問は士族の特権で百姓たちは教育をうける機会が全くと言っていいほどありませんでした。例外は以前の記事で紹介した奉公人の階級です(琉球藩の時代 その18参照)。

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