琉球・沖縄の歴史における個人的な謎

仮説『万国津梁の碑文』- その2

前回の記事で”万国津梁の碑文”についてブログ主なりに説明しました。今回はなぜ尚泰久王が仏教に”ハマったか”について考察します。

ちなみに尚泰久王は明暦景泰5年(1454年)、46歳の時に即位して、1460年に亡くなっています。その間に建立した寺院の一覧は下記参照ください。

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仮説『万国津梁の碑文』- その1

今回はちょっとまじめに”万国津梁の鐘の碑文”について言及します。あくまでも現時点における”仮説”ですが、『球陽』と碑文を照らし合わせてみると興味深いことに気がつきましたのでまとめてみました。

その前にこの碑文について言及すると、我が沖縄においてはあまりにも有名な一節

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風呂文化と琉球

今回は琉球・沖縄の歴史における風呂文化について少し言及します。国王やその女官たちは別として、ブログ主は琉球・沖縄の歴史において”入浴”に関する記述が非常に少ないのが常に頭のなかにひっかかっていました。

衛生観念が皆無というわけではないのですが、それにしては入浴に言及する箇所が極めて見つけにくい。実はブログ主が最初に確認したのは河原田盛美著『琉球紀行』の一節です。全文を書き写しますのでご参照ください。

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義本王の墓

今回は『中山世鑑』に絡んだネタで、義本王の墓について言及します。今回わざわざ国頭村辺戸のお墓を訪れた理由のひとつに、「舜天王の墓の所在は確かではないが、義本王の墓は存在しているのは何故か?」の答えのヒントが隠されているのではと思いつき、つい調子に乗って辺戸までドライブしてきました。

その前に舜天王の墓について、笹森儀助さんの証言をご参考ください。

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第一回県費留学生の謎

今回は明治15年(1882年)の第一回県費留学生の気になる点について言及します。『太田朝敷選集〈下巻〉』に年譜が掲載されていますが、その中で同年12月4日、上京した留学生たちが明治天皇に拝謁したとの記載記載がありました。詳細は下図をご参照ください。

*第一回県費留学生:1882年(明治15)年、沖縄から県費で東京へ留学した謝花昇、岸本賀昌、太田朝敷、高嶺朝教、今帰仁朝蕃(中途で帰郷、山口全述に代わる)ら5名のこと。学習院から農科大学や高等師範、慶応大などで学ぶ。

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琉球王国が経済的に終了した日

前回、当ブログに於いて文替(もんがわり)について言及しました(琉球・沖縄の歴史上最悪の布令)。この政策は琉球社会にハイパーインフレを巻き起こし、その結果経済は壊滅の憂き目を見ます。だがしかし琉球王国の恐ろしいところは、王府自身も全身全霊を挙げて経済破滅に尽力したことです。

嘘だと思う読者は、『尚泰候実録』から該当する部分を抜粋しましたので、是非ご参照ください(旧漢字はブログ主にて訂正済み)。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編 結論その2

totome-butsugu

重要なことなので繰り返しますが、沖縄県民(とくに本島)は祖先を敬うことと崇めることの区別ができません。典型的な例がトートーメーの男系継承(長男)で、女系が継承すればご先祖さまがお怒りになるという観念は迷信以外何物でもありません*

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編 結論その1

totome-butsugu

すこし調子に乗りすぎてユタについて長々と記述してきましたが、実は現代においてもユタの問題は沖縄社会の裏面に潜んでいて解決できたとは到底言い難い状況です。ではどのようにしたらユタの問題に対処したらいいのでしょうか。

ブログ主が思うに、ユタの問題は元々は前述したとおり

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編9

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ユタの権威を増長させたもう一つの理由は医療行為が未発達だったことです。古来より世界共通で呪術=医術と相場が決まっていますが、琉球・沖縄の歴史においてユタの医療行為が禁止されたのは1884年(明治17)です。1885年(明治18)に医生教習所を設立して西洋医学の研修および医者の育成を始めるまでは、事実上ユタが医術(ウグァン)を行っていた状態でした。(正確には漢方および民間療法とユタのウグァンです)

ユタの医療行為がどのようなものであったかは、詳細な記録がないため不明ですが、沖縄県政五十年(太田朝敷、1931年刊行)の第五、懸の衛生施設と其功程の記述から察することができます。(旧漢字および文語調はブログ主にて訂正)

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと番外編その8

トートーメー

琉球王国の時代において、ユタの問題は深刻なものがありました。為政者にとっては従来の権威に対する挑戦そのものですし、地方自治体である間切あるいは村にとっては秩序維持の妨げになりかねない存在とみなされたからです。それにも関わらずユタの権の暴走を止めることができず、しかも特徴的なのは貴賤職能を問わず琉球王国の女性のほとんどすべてがユタの権威に服従する状態になってしまいます。

何故当時の女性たちは身分を問わずにユタの権威に盲信的になってしまったのでしょうか。その答えは明白で、

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