アメリカ世(史料)

”戦果”に関する沖縄タイムスの見解

今回は”戦果”に関する沖縄マスコミの態度について紹介します。昭和24 年(1949年)7月17日付沖縄タイムスにおいて”戦果”に関する社説が掲載されていました。ブログ主が確認した限りでは、おそらく戦果に言及した初の社説です。原文は少し読み辛いところがあるので、ブログ主にて旧漢字を訂正、必要に応じて句読点などを追加しました。この社説は当時の沖縄タイムスの社会における”ステータス”を伺う上で極めて興味深い内容で纏められてます。読者の皆さん、是非ご参照ください。

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日共の対琉要綱 – 沖縄タイムスの社説

今回は昭和29年(1954年)8月30日に米国民政府から公表された『日共の対琉要綱』に対する沖縄タイムスの社説を掲載します。なお琉球新報は冷静な論評を掲載していた印象がありますが、沖縄タイムスの記事は辛辣そのもので、おそらく読者の皆さんもびっくりするかと思われます。

沖縄タイムスは昭和23年(1948年)7月1日、一般紙として発刊されました。戦前の『沖縄朝日新聞』のメンバーが中心になっての創刊ですが、同時期に営業していた『うるま新報』と違いは沖縄民政府とは完全に距離を置いていたことです。それ故にこの時期のタイムスの記事を読むと、可能な限り米国民政府や琉球政府に距離を置く姿勢が見受けられます。

にもかかわらず沖縄人民党に対して極めて厳しい社説を公表している点は注目されます。ブログ主の責任をもって内容をまとめると、「真意を隠しての政治活動は実に迷惑極まりない」になり、はっきり言えば「最低」ということです。読者のみなさんぜひご参照ください。

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日共の対琉要綱 – 琉球新報の社説

これまで当ブログにて昭和29年(1954年)8月30日に米国民政府(USCAR)から発表された『日共の対琉要綱』について記事にしました。当時の地元紙(沖縄タイムス、琉球新報)にこの対琉要綱に関する社説等が掲載されていましたので、しばらく数回にわたって史料として掲載します。

この日本共産党(以下日共)から沖縄人民党に配布された(とされる)指令書に対して、当時の新聞は厳しいコメントを発表しています。とくに琉球新報は前身のうるま新報時代(1945~1951)に一時期人民党と密接不可分の時代がありましたので、人民党の変質に関する記事内容には信憑性が感じられます。新報、タイムスともに共通なのが「ああ、やっぱり」という本音で、やはり当時の人たちは日共と人民党との”つながり”をうすうす感じ取っていたと思わざるを得ません。

今回は昭和29年(1954年)8月31日の琉球新報朝刊『金口木舌』、および同年9月1日の同紙朝刊社説を抜粋します。これらの記事で興味深いのは、マスコミ関係者からも人民党の活動が祖国(日本)復帰運動の妨げになるとの認識があったことです。社説に関しては「共産党の非合法化は賛成も、行き過ぎは慎むように」との全うな内容で、施政権者である米国民政府のプレッシャーを感じつつも新聞社としてのプライドを表明した良記事だと感心した次第であります。

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日共の対琉要綱 – その4

昭和29年(1954年)8月30日、米国民政府から発表された「日共の対琉要綱」は当時の沖縄社会に衝撃を与えます。そして翌日以降の地元紙(琉球新報、沖縄タイムス)には共産主義の脅威を警戒する旨の社説等を掲載しました。ただしこの指令書とやらはブログ主が思うには実に出来が悪く、本当に日本共産党からの指令か否か判断がつきにくい部分もあります。理由はいやしくも公の政党たるもの中二病を拗らせているとしか思えない人物が書きそうな文章を本気で書くとは思えなかったからです。

実際に沖縄人民党も「これはでっちあげ」と主張していて、正直なところこっちのほうが信憑性あるのかなと考えていたのですが、同年10月19日、米国民政府および琉球政府宛に日本共産党から送られた文書を読んで考えを改めざるを得ませんでした。10月20日付琉球新報の記事から該当の部分を抜粋しますので、是非ご参照ください。

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日共の対琉要綱 – その3

前回記事において、昭和29年(1954年)8月31日および同年9月1日付琉球新報に掲載された『日共の対琉要綱』の全文を掲載しました。当時の沖縄マスコミにはこの案件に関する社説などの記事が掲載されていましたが、この件に関しては後日改めて当ブログにて史料としてアップします。今回は「日共の対琉要綱」前文を読んだブログ主の感想を掲載します。

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日共の対琉要綱 – その2

前回当ブログにおいて、米国民政府(USCAR)が発表した『日共の対琉要綱』の前半部(1~29項)を紹介しました。今回は後半部(30~54項)を掲載します。ちなみになぜ米国民政府が日本共産党の対琉指令と思われる書類を公開したのかを考えてみたところ、その理由はただひとつ「琉球政府に防共法を制定してほしい」意向があったからです。そのあたりの流れをブログ主が調子に乗って図解しましたのでご参照ください。

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日共の対琉要綱 – その1

先日ブログ主は、宮里松正(みやざと・まっしょう)著『米国支配27年の回想』を参照中、46㌻に次のような記載がありました。

54.08.30 米国民政府のディフェンダーファー情報敎育部長は、記者会見で、「人民党が日本共産党と気脈を通じて行動していることは明らかであり、そのことは、日本共産党の指令とも符合する」と述べ、日共の指令「日共の対琉要綱」を公表した。

そこで実際に当時の新聞(琉球新報、沖縄タイムス)および仲宗根源和著『政界診断書』を照合して、全54項からなる指令書とやらを確認することができました。当ブログにて史料として提供しますので、興味がある読者の皆さん是非ご参照ください。

ただし解りにくい部分が多かったので、(小かっこ)の部分は説明を、〔きっこうかっこ〕の部分は捕捉をブログ主の判断で挿入しました。全54項は長文なので(文章の)区分けは琉球新報のそれに従って掲載します。最後に予備知識として、畠義基著『真相はこうだ』から人民党事件(昭和29年10月)当時の沖縄人民党と日本共産党との関係を掲載しておきます。

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対談 – 復帰の“意味”を追求する

本日は46回目の復帰の日、そこでブログ主にて当時の新聞をチェックしたところ、実に興味深い記事を発見しましたので今回全文を掲載します。昭和47年5月15日 – 琉球新報復帰特集号の第2集に佐久川政一さん(当時沖縄大学学長)と復帰協事務局長との対談が掲載されていました。佐久川政一という極めて香ばしい名称に心魅かれて記事をチェックしたのですが、当時の復帰協(祖国復帰協義会)と革新系知識人の考え方を推察することができる貴重な内容となっています。

ただし予備知識なしで読むと意味不明なところもありますので、捕捉として、①対談者が「(戦後)民主主義=反ファシズム」と考えている、②冷戦は単なるイデオロギー闘争である、③そして日本国憲法を遵守することが戦前の大日本帝国の政治体制との決別と考えていることを念頭におけば対談の意図が理解できると思われます。読者の皆さん是非ご参照ください。(主体という言葉でちょっと吹いてしまうのは内緒でお願いします)

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琉球の帰属

今回は、我が沖縄の先人たちが本土復帰についてどう考えていたかの記事を掲載します。アメリカ世の昭和26年(1951年)に、当時の沖縄タイムス一面に「琉球の帰属」という社説が掲載されました。執筆者は高嶺朝光さん、当時の心境は「新聞五十年」に掲載されているので、下記掲載します。

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昭和41年12月7日沖縄タイムス夕刊3面の記事

本日(4月13日)ブログ主は沖縄県立図書館にて、“教公二法”と“昭和53年の沖縄県知事選挙”に関する史料チェック中に面白い記事を複数発見しました。せっかくなので史料として当ブログにて掲載します。

以前に“裁判移送問題と中村議員の失踪”の記事を掲載しましたが、昭和41年(1966年)12月7日の沖縄タイムス夕刊3面に『とんだ人騒がせ – 真相は本人だけしか知らぬ』のタイトルで中村晄兆(なかむら・てるあき)議員失踪事件について記事が掲載されていました。この事件は戦後沖縄における最大級の謎事件ですので、史料入手次第、不定期ですが当ブログにて情報提供していく予定です。

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史料 – 沖縄人民党綱領

今回は昭和22(1947)年11月15日、沖縄(民政府)知事志喜屋孝信宛に提出された、『政党に関する書類 – 沖縄人民党』 より沖縄人民党の綱領、政策について掲載します。沖縄県公文書館 – 琉球政府文書 – 政党に関する書類(1)結成届け、綱領、会計報告からの抜粋です。

『戦争と平和の谷間から』 浦崎康華著によると、試案は浦崎康華さんが作成し、昭和22年7月20日の新党結成大会において無修正で作成されたのこと。以前当ブログで掲載した、新沖縄建設大綱(私案)と比較すると実に興味深い内容です。共産主義的な要素があまり感じられないことに驚かれるかもしれません。読者の皆さん、是非ご参照ください。

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史料 – ウルマ新報誕生の経緯(島清さんの証言)

今回は、瀬長亀次郎さんの足跡をチェック中に発見、『琉球新報80年史 – 新聞にみる沖縄の世相』の通史篇に記述されていたウルマ新報誕生の経緯を掲載します。それはウルマ新報初代社長島清(しま・きよし 1908~1997)さんの証言で、非常に興味深い内容になっています。

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史料 浦崎康華氏の「新沖縄建設大綱(私案)」

今回は戦後史料の一つとして、浦崎康華(うらさき・こうか)氏の「新沖縄建設大綱(私案)」を掲載します。その前に「浦崎康華って誰?」と突っ込まれそうですが、この人物は沖縄人民党の初代委員長で、人民党の宣言、綱領の原案を作成したことで知られています。

生まれは 明治30(1897)年那覇の泊、長年ジャーナリズムに携わってきた新聞人で戦時は国家総動員事務も担当しています。『新沖縄建設大綱(私案)』が作成されたのは沖縄戦中の昭和20年5~7月の間で、浦崎氏が捕虜として収容されていた高江洲市で作成されました。今回は昭和58(1983)年に刊行された「戦争と平和の谷間から」 291~303㌻ に掲載されていた全文を抜粋しました。読者の皆さん是非ご参照ください。

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