本日付(11月26日)沖縄タイムス1面に “飲食「4人・2時間」解除 / 県が新方針 5千人超催しも” と題して、沖縄県新型コロナウィルス感染症対策本部会議が警戒レベルを緩和した新方針の適用を決めたとの記事が掲載されていました。
コラム
我が沖縄で全国1コロナが蔓延した理由……
本日付(11月25日)沖縄タイムス1面に “玉城知事、再選に意欲 – 新振興モデル模索へ “ との見出しで、玉城知事が来年秋に予定されている知事選に関して、再選への強い意欲を示す旨のインタビュー記事が掲載されていました。(沖縄タイムスプラスでは “「私への評価は県民の皆さんがすること」沖縄のデニー記事、再選に意欲” の見出しで、無料記事が配信されていました)
俺が調子に乗って第49回衆議院議員総選挙を総括したった件 – その3
(続き)今回は先に行われた第49回衆議院議員選挙の結果を県内マスコミがどのように報じたかついて言及します。選挙翌日(11月1日)の沖縄タイムス1面は “自民2勝 議席増” との大見出しで、小選挙区における自民党の躍進を大々的に報じていました。
軽石……
前日(11日)のRBCニュースによると “県内の海岸に大量の軽石が漂着している問題で、宜野湾市の港でも11日、海面に軽石に覆われている様子が確認されました。11日の一部フェリーに欠航が出ています” と報じられたのを目にしたブログ主は、さっそく本日宜野湾市のトロピカルビーチを訪れてみました。
俺が調子に乗って第49回衆議院議員総選挙を総括したった件 – その2
(その1からの続き)すこし話がそれましたが、今回はまじめに我が沖縄における第49回衆議院議員選挙の結果についてブログ主なりに考察しますが、結果はご存じの通りオール沖縄勢力が大型選挙で結成以来の惨敗を喫したと看做して間違いありません。
俺が調子に乗って “オール沖縄” の今後を考えてみたった件
今回も番外編として第49回衆議院議員選挙で初の敗北を喫したオール沖縄の今後についてブログ主なりに考えてみました。
俺が調子に乗って第49回衆議院議員総選挙を総括したった件 – 番外コラム
以前、当ブログで “害虫の異常発生” と題したコラムを掲載しました。元ネタは昭和51年12月12日付琉球新報夕刊1面に掲載された〈金口木舌〉ですが、今回はそれにヒントを得て、ブログ主なりに昭和のノリで選挙コラムを書いてみました。
俺が調子に乗って第49回衆議院議員総選挙を総括したった件 – その1
先月31日に行われた第49回衆議院議員総選挙は、今後の我が沖縄社会に極めて大きな影響、そして歴史に残る結果になると思われますので、政局素人であることを承知の上で、ブログ主なりに今回の選挙の総括記事をアップします。
ユタとりうきう その3
(続き)今月19日から第49回衆議院選挙が公示され、我が沖縄でも連日激しい選挙戦が繰り広げられています……といいたいところですが、今回はコロナ禍のため、前回や前々回、あるいは知事選に比べると街頭活動は抑え気味の感があります。
2つのスキャンダルと沖縄タイムス – その2
(続き)今回は立憲民主党の屋良朝博氏にかかわる週刊誌報道を沖縄タイムスがどのように報道したかを検証します。結論を先に申し上げますと、沖縄タイムス側は今回の疑惑に対して本音では “クロ” と思っていることで間違いありません。
2つのスキャンダルと沖縄タイムス – その1
今回は、ここ数日ネット上を賑わしている2つのスキャンダルを県内マスコミはどのように報道したかを検証します。一つは今月13日に朝日新聞DIGITALが “「Dappiのツイートは名誉毀損」立憲議員がウェブ関連会社提訴” と報じたニュース、そしてもう一つは “【独自】立憲民主・屋良朝博議員に秘書給与の「上納」要求の疑い 事務所や党は言及なし 〈週刊朝日〉” で報じられた屋良朝博議員のトラブルです。
選挙所感
今月31日に投開票が行われる国政選挙(第49回衆議院議員選挙)に関して、現時点でブログ主が気が付いた異変について言及します。というかブログ主は選挙ウォッチャーでもガチ勢でもないため、各地区の勝敗予想については詳しく説明できませんが、それでも前回の国政選挙との大きな違いに気が付きました。
翁長雄志氏の偉大さを痛感したお話。
今月4日、那覇市内を散策中のブログ主は、ふと気になった光景を目にしましたので写真撮影してきました。ご存じのとおり今月14日に衆議院が解散され、19日に公示、31日に投開票が行われる日程がきまり、立候補が噂される政治家たちが各地で事務所を開いたり、街頭活動に従事する姿を見かけるようになりました。
ユタとりうきう その2
前回はユタとりうきうと題してブログ主なりにユタについて言及しました。既出ですが我が琉球・沖縄の歴史においてユタの存在を歴史的に解明し、その解決策を明示したのは伊波普猷先生が最初です。
大正2年(1913)3月11日から琉球新報に掲載された「ユタの歴史的研究」の〆の部分で、伊波先生はユタ対策について以下のように言及されております。
“ぼくのかんがえるさいきょうの” という病
今回は我が沖縄だけでなく、日本全国(特にネット上)ではびこる “ぼくのかんがえるさいきょう” の弊害について言及します。ちょっと意地悪な内容にはなりますが、その好例として沖縄県内における中国観の変遷について簡単に説明します。