大日本帝国の時代

125年前の首里の様子

今回は明治26年(1893年)当時の首里の様子を紹介します。笹森儀助著『南島探験』からの引用ですが、明治12年(1879年)の廃藩置県から14年、旧都の寂れっぷりが予想の斜め上を行くレベルでブログ主は衝撃を受けました。著者の笹森儀助は青森県出身で、明治26年5月11日青森を発し、青森→東京→神戸→鹿児島を経由して同年6月1日に無事那覇港に到着します。彼が首里の尚氏宅の訪問および墳墓(玉陵)の参拝を試みたのが翌日の2日ですが、その時の様子を抜粋しましたので是非ご参照ください(原文およびブログ主による意訳を掲載しました)。

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最初の遊學生 – 高嶺朝敎翁の談

今回は太田朝敷関連の史料として第一回県費留学生として上京した高嶺朝教氏の談話を掲載します(リンク先写真前列右側の人物)。第一回県費留学生の派遣は我が沖縄の歴史にとって重要な意義を持ちます。理由は彼等が琉球・沖縄の歴史上で初めて自発的に断髪したことで”伝統主義の束縛”から自らを解放することに成功したからです。そしてそのことがエリートとしての彼らの人生を決定つけることになります。だがしかし高嶺氏の回想にも明治天皇への拝謁については一言もふれていません。この点はさておき、今回はブログ主にて現代語訳と原文を併せて掲載します。読者のみなさん、是非ご参照ください。

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恩知らず考

すでに当ブログに取り上げた案件ですが、伊波普猷先生の『古琉球』の論説 – 沖縄人の最大欠点 – についてブログ主が調子に乗って言及します。ちなみにこの論説が『沖縄新聞』掲載されたのは明治42年(1909年)2月21日であることを考慮の上で下記引用をご参照ください。

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琉球・沖縄の歴史上最も偉大な女性の思い出話

先日ブログ主は沖縄県立図書館において、昭和7(1932)年に琉球新報に掲載された『あの頃を語る』の記事を閲覧中に、ずっと探していた安村つる子女史(1881~1943の思い出話を見つけることができました。安村つる子(旧姓久場ツル)さんは明治14(1881)年首里にうまれ、沖縄初の女性教員として首里尋常高等小学校に勤務、琉球・沖縄の歴史上初めて学業によって身を立てた女性です。実はそれだけではなく、安村女史は

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明治29年4月20日の女子講習科の入学試験

今回はブログ主が確認した限りですが、おそらく歴史上初の女子に対する選抜入試試験の内容を紹介します。

琉球・沖縄の歴史において女子が小学校へ入学したのは明治18(1885)年ですが、それから11年後の明治29(1896)年に女子講習科(速成の女子教員養成学校)の選抜入試試験が行われます。その内容が非常に興味深いので今回ブログで公開します。

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公同会運動の顛末 失敗の本質 その2

SEALDs

前回の記事において、琉球沖縄の歴史では遂に尚家の存在を絶対化するイデオロギーが誕生しなかった件を指摘しました。よく考えると当たり前のことで、1609年(慶長14)の慶長の役の敗戦の結果、戦勝国である薩摩藩の要請で、王家が存続された歴史がある以上、そんな都合のいい基本思想が生まれる訳ありません。

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公同会運動の顛末 失敗の本質 その1

Yamazaki_Ansai

今回からは公同会運動の失敗について、ブログ主が大胆な仮説をもとに検証します。この運動に関しては、今まではネガティブな印象が強かったのですが、実際に調べてみると実に面白く、そして廃藩置県後の沖縄社会の変遷を理解する上で格好の素材であることが分かりました。この運動がなぜ失敗したかについて、これまでの歴史教科書等では「復古的」「旧士族の最後のあがき」などで簡単に片付けられているケースが多く、正直ちょっと勿体無い気がするので、ここはブログ主が調子に乗りまくって失敗した理由を検証します。

公同会運動のきっかけは、沖縄県庁をはじめ当時の社会が他府県人に牛耳られていることに対する不満です。県庁の職員だけでなく、甚だしきは学校の先生や、警官までが県外人主体になっている有様です。しかも鹿児島県人の抜擢が著しく、当時の沖縄県人、特に留学帰りの新知識人が社会の現状に不満を持つもの無理はありません。

ただしこの運動の面白さは

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公同会運動の顛末 琉球新報社が果たした役割 その6

前回の記事で、琉球新報社の伝統は社員たちのエリート意識にあることを説明しました。ここでのエリートとは、現在の学歴エリートやスポーツエリートの意味ではなく、「自分は使命を全うするために生まれてきた」ことを自覚した人のことを指します。言わば太田朝敷氏らの初期の琉球新報の社員たちは、日清戦争の結果後にエリートとして生きることを宿命つけられたのです。

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公同会運動の顛末 琉球新報社が果たした役割 その5

ootatyoufu

前回までに沖縄タイムス社に対するブログ主の仮説を掲載しました。今回からは本題である琉球新報社が沖縄社会に対して果たした役割について述べます。

琉球新報社は前述の通り、1893年(明治26)に奈良原知事の提案と尚家がスポンサーになって設立されました。その経緯ゆえに機関紙的な性質が極めて強い新聞社だったのですが、日清戦争(1894~1895)の結果、新報社は社風の変質を余儀なくされます。

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公同会運動の顛末 琉球新報社が果たした役割 その4

前回は、公同会運動とは直接関係ない沖縄タイムスの沿革について記述しました。せっかくの機会なので、この場を借りて沖縄タイムスがなぜ偏向とまで呼ばれるような論調を記載し続けるか、ブログ主なりに整理しましたのでご参照ください。

沖縄タイムスは伝統的に既存の権威や権力、および社会的勢力に対して徹底的に距離を置くスタイルです。それ故に旧革新勢力(現オールおきなわ)や市民団体等よりの記事が目立ちますが、理由は

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