大日本帝国の時代

公同会運動の考察 その3

前回の記事で日清戦争の結果によって、開化党と頑固党の確執は頂点に達したと記述しました。理由は開化党の拠点の一つであった琉球新報社が、毎日のように日本軍の快進撃を報じたからです。当然頑固党派新聞報道を信用しません。それどころか新聞のことを紙ハブとあだ名をつけて忌み嫌うようになります。ちなみにその時の様子は下記の抜粋文をご参照ください。

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公同会運動の考察 その2

公同会運動について述べる前に、廃藩置県後の沖縄における社会的勢力について説明します。大雑把な分類になりますが、下記をご参照下さい。

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公同会運動の考察 その1

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今回から1896年(明治29)に旧王族を中心に結成された政治結社「公同会」と、彼等を中心とした自治権獲得運動について連載します。この運動は「公同会事件」として琉球・沖縄の歴史教科書に必ず記載されていますので、ご存じの方は多いかもしれません。ただし事件に至るまでの経緯と、その背景を調べると、実に異質極まりない案件なので、ブログ主が調子に乗って詳しく説明します。

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1913年(大正2)のユタ裁判 その8

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ここまで延々と1913年(大正2)のユタ裁判の公判記事を掲載しました。第3回公判で被告仲地カマドを拘留20日の刑に処す判決が下され一件落着と行きたいところですが、そこは往生際の悪いカマドさん、区役所の判決を不服として地方裁判所に控訴したため、当時の沖縄社会はまたまた大騒ぎになります。

本日から1913年3月17日行われた那覇地区地方裁判所での第二審公判の内容を掲載します。

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1913年(大正2)のユタ裁判 その6

前回の公判で城間ゴゼイさんの証言のよって仲地カマドさんはピンチに陥ります。ロールプレイングゲームに例えるとクリティカルヒットを食らった状態です。しかもそれだけではなく、第三回公判においてもう一人の主人公である具志堅マウシさん(49)が証人として出廷することで、カマドさんは絶体絶命の状態に追い込まれます。では具志堅マウシさんが殺る気満々で登場した1913年(大正2)3月4日に行われた第三回の公判の記事をアップします。

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1913年(大正2)のユタ裁判 その5

今回は1913年(大正2)3月1日に行われた第二回の公判の全文をアップします。

証人城間ゴゼイの証言次第で運命が決まるユタ側では、かたずを呑んで待ち受けた。ゴゼイは、深く心に決するものがあるようで、判事の偽証罪についての注意にもキッパリ誓って訊問に応じた。

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1913年(大正2)のユタ裁判 その4

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前回までに記述した第一回の公判の内容をまとめると

仲地カマドさん

1.2月17日に具志堅マウシさん宅を訪問したことは認めるも、容疑内容については「覚えていません」。

2.自分はユタをする身分ではない。

3.祈祷は自分のために行うもので、他人に対して行ったことはない。

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