シリーズ

恩知らず考

すでに当ブログに取り上げた案件ですが、伊波普猷先生の『古琉球』の論説 – 沖縄人の最大欠点 – についてブログ主が調子に乗って言及します。

ちなみにこの論説が『沖縄新聞』掲載されたのは明治42年(1909)2月21日であることを考慮の上で下記引用をご参照ください。

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勤労意識の違いについての考察

明治の時代に来沖した他府県人の手記を確認すると、必ずと言っていいほど男逸女労(だんいつじょろう)、あるいは遊手徒食(ゆうしゅとしょく)の表現を見かけます。男逸女労とは文字通り”男は働かず女が働いて食わせてもらう”の意味ですが、太田朝敷先生は『沖縄県政五十年』において「それはあらぬ誤解である」と憤慨しています。確かに太田先生のご指摘どおりこの件は誤解に基づく風評被害の一面がありますが、他方当時の士族たちに勤労意欲が欠けていたことは否定できません。試しに下記引用をご参照ください。

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國體政體永久不相替是迄通被仰付候段一昨年外務卿ヨリ御達有之

明治8年(1875年)における琉球藩と明治政府との交渉に関して調べているうちに、外務卿副島種臣より琉球藩国体永久不相替の言質とその覚書があり、それを理由に琉球藩が藩政改革を拒んだとの記述を見つけました。実際にそのような覚書があるのかチェックしたところ、意外にも簡単に見つけることができましたので今回当ブログにて紹介します。明治6年(1873年)9月20日付の琉球藩への達書をご参照ください。

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グロリア台風のお話

先月29日に非常に強い勢力で沖縄本島を通過した台風24号(チャーミー)は風害の凄さをまざまざと見せつける結果となりました。沖縄県民にとっての一番のダメージは広範囲で発生した停電で、ブログ主も今更ながら電気のありがたさを実感した次第であります。不幸中の幸いは現時点で死者が1人もいないことですが、これは沖縄社会のインフラ整備が万全である故の結果です。

今回は昭和24年(1949年)7月23日に沖縄本島を襲撃したグロリア台風について言及します。読者の皆さんぜひご参照下さい。

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琉球独立論が抱える致命的な欠陥

以前当ブログにおいて『琉球独立論考』と題して沖縄における独立論の欠点を指摘しました。改めて説明すると、「独立論は歴史において琉球民族が存在したことを前提に理論を組み立てている」ことは仮説と事実の混同であり、先に万人に通用する民族論を確立すべきであるとの記事内容ですが、今回は琉球民族の定義についてもう少し詳しく言及して現在の独立論が致命的な欠陥を抱えていることを説明します。まずは琉球独立運動かりゆしクラブの屋良朝助氏の見解をご参照ください。

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2018年沖縄県知事選挙についての考察

先月30日に投開票された2018年沖縄県知事選挙は周知のとおり玉城デニー氏が佐喜眞淳候補に圧勝しました。すでにWebやSNSでは選挙に関する記事や書き込みが目立ちますが、ブログ主も調子に乗って今回の選挙結果の歴史的意義などについて言及します。ただしブログ主は選挙の素人のため勝因あるいは敗因について語る資格がありません。あくまで第三者の立場から見た所感になります。この点を考慮したうえで読者のみなさん是非ご参照ください。

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翁長知事の遺志を受け継ぐとは

以前、当ブログにて『琉球・沖縄における国防意識の変遷』と題して旧革新勢力の日米安保および在沖米軍に対する考え方について言及しました。これまで革新共闘会議(かくしんきょうとうかいぎ)は日米安保反対、在沖米軍の即時撤退のテーゼで国政および地方選挙を戦ってきましたが、その根拠の一つに「基地があるから沖縄は戦争に巻き込まれる」との発想があります。

以前は小室直樹著『ソビエト帝国の最期』からの一節を紹介して、彼らの安全保障に関する考え方を説明しました。小室博士の指摘は日本人の戦争に関する観念を上手に説明していますが、我が沖縄の場合はそれだけではありません。「日共の対琉要綱」も大きな役割を果たしていることが分りましたので今回当ブログにて言及します。

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明治政府はなぜ琉球を日本と見做したか

今回は明治政府が何故琉球を日本の版図(主権の及ぶ範囲)と見做したかについて言及します。というのはブログ主が確認した限りですが数多くの琉球・沖縄の通史でこの件について詳細に説明している著書を見つけることができないからです。ちなみにこの案件について詳細に記述しているのが喜舎場朝賢著『琉球見聞録』や松田道之の『第一回奉使琉球始末』ですが、今回松田の史料を利用して当時の明治政府の琉球における立場について説明します。

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琉球藩ヨリ貢米上納方之儀ニ付願

今回は明治6年(1873年)4月12日、伊江王子および三司官名義の嘆願書等の史料について言及します。原文は『琉球所属問題関係資料(全八巻)_第六巻琉球処分上・中』からの引用で、読み下し文はブログ主にて作成しました。この史料については仲里譲著『琉球処分の全貌』の64~67㌻にも詳しく記載されていますが、ブログ主と仲里氏では解釈に若干の違いがあります。

ただし史料を読み終わったときの感想は同じで、「余りの貧困に絶句して何を言ってよいかわからない(同著67㌻)」になります。その部分を抜粋しますのでご参照ください。

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琉球藩時代の惨状

以前、当ブログにおいて慶応2年(1866年)の冊封時点で、琉球王国は経済的に終わってしまった旨の記事を掲載しました。その惨状の爪痕は明治6年(1873年)を『琉球藩ヨリ貢米上納方之儀ニ付願』など当時の史料からある程度確認することができましたので、当ブログにて紹介します。

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琉球王国はなぜ米仏蘭との国際条約に清国の暦法を使用したかの考察

先日、ブログ主は東恩納寛惇著『尚泰候実録』の351㌻(明治11年候36歳)の項目を読んでいたところ、同年10月7日付で在日清国公使の何如璋(か・じょしょう)が寺島宗則外務卿宛てに出した書簡についての記述に目が留まりました。その一部分を抜粋しますので、読者のみなさんぜひご参照ください。

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短銃で射たれ重傷 – 壷屋、暴力団のヤミ打ちか

前回ひさびさに沖縄ヤクザ関連の記事を掲載しました(『縄張り”暁に死す”』)。予想通りアクセス数が凄かったので、今回も調子に乗って昭和 37(1962)年11月13日に発生した又吉世喜銃撃事件について言及します。この事件は本土から”ヒットマン”を派遣して銃撃という沖縄ヤクザ史上初の事件であることと、この後抗争事件で銃撃が多発する歴史的?な出来事になりました。今回は当時の新聞と警察関係者、および昭和38年3月号の『月間沖縄』からの資料を掲載します。是非ご参照ください。

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縄張り”暁に死す”

今回は当ブログ読者のみなさんお待ちかね?の沖縄ヤクザネタを掲載します。ブログ主の手元にある史料から、昭和36年11月号『月間沖縄』に掲載された西原飛行場における暴行事件について掲載します。その事件の概要は下記ご参照ください。

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とある有名な政治家の隠し子?のお話

9月13日付週刊文春に、今月30日予定されている沖縄県知事選挙に立候補する候補者2人に関する記事が掲載されていました。(沖縄知事選<与野党候補>「隠し子疑惑」を連続直撃)。真偽はともかく「作文」としてはなかなか面白いこの記事に対して、ブログ主は該当の候補者がどう振る舞うか非常に興味あります。

それと、この記事を読んだ際に、ブログ主はとある有名な政治家の「隠し子?」について思い出したので当ブログにて言及します。昭和38年(1963年)5月10日発行『月間沖縄』の中で仲宗根源和さんが『現代人物評伝』の記事のなかでこの政治家の隠し子?に触れていましたのでその部分を抜粋します。なお一部伏字ですが、おそらく賢明な読者の皆様なら誰のことかはうすうす察することができるはず、是非ご参照ください。

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