今月13日の琉球新報DIGITAL版に唐突な感じを受けましたが、”沖縄の指定暴力団「旭琉会」の暫定代表、永山幹事長が就任 世代交代への足固めか” と題した記事が配信されていました。
配信当時はあまり興味を持たなかったのですが、ヤクザ関連の史料整理中に、今回の人事の重大性に気が付きましたのでブログ主なりに解説します。
今月13日の琉球新報DIGITAL版に唐突な感じを受けましたが、”沖縄の指定暴力団「旭琉会」の暫定代表、永山幹事長が就任 世代交代への足固めか” と題した記事が配信されていました。
配信当時はあまり興味を持たなかったのですが、ヤクザ関連の史料整理中に、今回の人事の重大性に気が付きましたのでブログ主なりに解説します。
今月24日、8年にわたる内戦状態にケリをつけるべく、ロシアのプーチン大統領がウクライナへの軍事行動に踏み切りました。
ブログ主はもちろん国際政治の専門外であることは承知の上で、今回のウクライナ危機から “教訓” を見出しましたので、当ブログにまとめてみました。ぜひご参照ください。
(続き)以前、当ブログで掲載した記事、 “復帰協が残した教訓 – その2 経歴” の中で、復帰運動を主導する民間団体の結成が当初はうまくいかなかった件について言及しました。
今年は我が沖縄が本土に復帰して50年の節目の年にあたります。ちなみに恒例の “復帰についてのアンケート” では、毎回 “復帰してよかった” の回答が8割前後を占めることはよく知られています。
前日(15日)にツイッター上で(偶然にも)石井孝明さんと沖縄2紙について少しだけやりとりをしましたが、それにヒントを得て、今回はブログ主なりに沖縄タイムスの “本質” について言及します。
今年は我が沖縄が本土に復帰して50周年の節目にあたります。それに関連して本土の組織暴力団(山口組)の沖縄進出について調べつつ、これまで蒐集したヤクザ関連の史料を整理したところ、興味深い事実を再発見することができました。
当ブログにおいて、前回 “うちなーの奥義” と題した記事が意外な反響を呼びましたので、今回はそれに関連して “うちなーの正覚者” について言及します。
前回の記事で復帰前後の山口組の沖縄進出について説明しましたが、今回は昭和45年(1970)4月に沖縄に進出した “国琉会” について言及します。
(続き)前回の記事で、アメリカ世から復帰後にかけて山口組の沖縄進出が失敗した理由はただ一つ “人材選びを誤った” と言及しました。今回はブログ主の手持ちの史料を利用して、この点について言及します。
昭和47年(1972)5月14日付琉球新報12面に” 沖縄に任侠道を…” と題して復帰後の沖縄に山口組が本格的に進出する(であろう)記事が掲載されていました。
参考までに当時の沖縄には親山口組の組織として “東亜友愛事業組合” が存在していましたが、それとは別に山口組は2年前の昭和45年(1970)4月に “国琉会” として那覇進出を試みましたが、わずか一か月で撤退した過去があります。
今月23日に投開票が行われた名護市長選挙は、大方の予想通り現職の渡具知武豊氏が新人候補に圧勝しました。傍目で見ても岸本候補の力量不足は明らかであり、この案件については後日言及するとして、今回は我がうちな~の “奥義” を大公開します。
すこし前の話ですが、令和3年(2020)3月10日の参議院財政金融委員会で麻生太郎氏が「武漢発のウィルスの話で、『武漢ウィルス』というのが正確な名前だ」と発言したことに対し、既存マスコミから批判の声が相次ぎました。
以前に当ブログで尚衛(しょう・まもる)氏の論説全文を紹介しましたが、今回はブログ主なりの解説記事をアップします。令和4年1月1日付八重山日報 – 沖縄本島版 – に掲載された尚家当主の論文は、仲村覚さんのツイッター上で初めてその存在を確認しましたが、ブログ主的に2~3の気になる点を見つけましたので、そのあたりを中心にまとめてみました。
今月10日付琉球新報上で “〈透視鏡〉基地負担へ 県が「外交」” と題した記事がSNS上で物議を醸し、担当した記者がツイッター上で「記事の意図」を数回にわたって説明するという事態になっています。
軍事力の強化を続ける中国への対応を念頭に、日米の軍事一体化が加速する中、県は基地が集中することによる沖縄の軍事的な脆弱さなどを対外的に発信し、分散化を求める戦略を立てている。それと同時に2022年度以降、アジア太平洋地域の国々へ働き掛け、協力関係を構築していく構えだ。