琉球王国時代の教育制度は19世紀に完成します。教育機関は都市部である首里と那覇に設置*されていました。入学資格があるのは士族のみ(那覇や首里にも少数ながら町百姓が住んでいました)で、入学時期は7歳からです。
*首里と那覇(あるいは久米)では進学ルートが違いますが、入学の時期と受講内容はほぼ同じです。
最初に入学する村学校(現在の小学校に相当)では主に漢学を受講します。1875年(明治8)12月に河原田盛美氏がその著書「琉球紀行」で那覇市内の4つの学校(西村、東村、若狭町、和泉崎)を視察した件が記載されていますので、一部紹介します。