前回の記事において、平成29年(2017)1月5日付で「のりこえねっと」公式ページに公開された抗議声明文について全文掲載しました。今回は1月20日付で公開されたDHCシアターの「運営から、ニュース女子番組見解について」の全文を掲載します。
資料 2017年1月28日(土曜日)沖縄タイムスより その2
前回の記事において、MXTテレビ報道に対する辛淑玉さんの見解と、沖縄タイムスの1面記事の全文を掲載しました。(27面の記事は掲載していません)
資料 2017年1月28日(土曜日)沖縄タイムスより
本日(28日)の沖縄タイムスの1面に、TOKYO-MXが放送した「ニュース女子」に対して、虚偽の内容で名誉を毀損されたとして、辛淑玉さんがBPOの放送人権委員会へ申し立てを行いました。ブログ主が驚いたのは、沖縄タイムスがこのニュースを1面で取り上げたことです(6面に辛さんの見解全文、27面に関連あり)
この案件は興味深い内容もあるため、まずは沖縄タイムス1面の記事と、辛さんの見解全文をアップします。
続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 番外編4
前回の記事で、沖縄が独立するには2つの条件が必要であることを説明しました。今回は
・東アジアにおいて中国共産党が冷戦に勝利すること
について説明します。
続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 番外編3
前回の記事において、現在の沖縄県が独立するための必要条件として
・戦後世代が抱える被差別意識を超える、琉球独立のための新しいイデオロギーの作成。
・東アジアにおいて中国共産党が冷戦に勝利すること
の2点を挙げました。それぞれについて説明します。
閑話 冬の時代に入った沖縄の高校野球
2017年1月7日に、第45回沖縄県高校野球部対抗競技会が開かれました。毎年恒例の競技会で、今年は興南高校が総合成績でトップになりました。先ずは記録をご覧ください。
続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 番外編2
平成29年(2017)現在において、沖縄県が日本から独立するチャンスはありません。理由は、前回の記事で説明した通り、日本への帰属が日米最強国の合意に基づいたものであること、現在の沖縄県民の大多数が本土復帰を良かったと思っているからです。
続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 番外編
前回までに、19世紀末の国際情勢と琉球藩の経済力では、王国として独立することは極めて難しい件を説明し続けました。では21世紀において沖縄県が独立して国家として運営できるかを(冷やかしではなくて)真面目に検討します。
続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 その4
もしも琉球藩が、日本国の帰属を離れて清国の外藩となった場合は、国際情勢と琉球の産業経済の現実から、最終的には清国の保護領になる可能性が高いことを説明しました。そうなると王国は形式のみとなり、国際的には琉球は清国の一部となります。その結果琉球社会がどのような変貌を遂げるかのシミュレーションを今回は行いませんが、少なくとも文化の継承と近代化の進捗には大きな影響がでることは間違いありません。
続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 その3
前回の記事において、19世紀末に琉球王国が清国の外藩として半ば独立した場合、軍事と外交の負担に王国経済が耐えられず、やがて破綻してしまう可能性が高いことを言及しました。この記事に対しては「まるで北朝鮮じゃねぇか(笑)」という突っ込みがありましたが、それはさておき、今回は経済面について考察します。
続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 その2
今回は、もしも琉球藩が日本の帰属を離れて、清国の外藩としての琉球王国が復活した場合をシミュレートします。政治的には慶長14年(1609)年以前の琉球国の状態に戻ることになりますが、17世紀初頭と19世紀末では、琉球国内の社会環境や国際情勢が大きく変貌しています。そのような状況で、慶長以前の状態に戻った場合、琉球王国の運営はどのようになるのでしょうか。
続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話
前回の記事において「琉球藩の場合は、おせっかい焼きの日本人が「同じ民族だから」ということで引き取ってくれたことです」と記載しましたが、今回は、頭の体操の一環として、もしも明治政府が琉球藩を引き取らなかった場合どうなったかをシミュレートします。歴史にイフは禁物なんて野暮なことは言わずに、調子に乗りまくって日本以外が琉球王国を引き取った場合を想定して記事にします。
続・琉球藩の時代 朝鮮民主主義人民共和国との比較 その5
前回記事において、文久元年(1861)以降の琉球王府の役人の腐敗堕落の一例を掲載しました。その記事に対する反響は予想以上に大きく、この事実から現代の歴史教育において幕末期の琉球王国の惨状はタブー視されていることが窺えます。歴史教育の場において琉球王国の闇の部分を教えないのは止むを得ませんが、現代の歴史家までが一種の被差別意識に囚われすぎて、自国の黒歴史を直視しないのは好ましい状況とは言えません。
ちなみに、当時の王府の役人の腐敗エピソードは続きがあるのですが、さすがにこれ以上紹介するのは胸くそ悪くなりますので、今回は琉球藩と北朝鮮社会との違いを説明します。
続・琉球藩の時代 朝鮮民主主義人民共和国との比較 その4
前回の記事において、琉球藩時代の官僚機構の腐敗堕落の一例を紹介しました。王国末期(あるいは琉球藩)の時代の官吏の横暴ぶりは、琉球の歴史を詳しく調べるとすぐに分かるのですが、現代の歴史家は殆ど触れることなく(華麗にスルーと断言したほうがいいかも)、琉球処分の不法を強調する傾向があります。
だからブログ主が、当時の実体を知って貰うべく、気分を悪くしながらまとめ記事として配信しているのですが、実は当時の王府の役人の腐敗堕落の極めつけの話がありますので、この場を借りて紹介します。
続・琉球藩の時代 朝鮮民主主義人民共和国との比較 その3
前回の記事で、琉球藩と北朝鮮社会との共通点として「民間にお金持ちが見当たらない」ことを説明しました。今回はもう一つの共通点である「官吏の腐敗堕落が著しい」件を取り上げます。
1970年代において、北朝鮮のお役人の腐敗堕落が酷いなんて主張すると、それこそ朝鮮総連から猛烈なクレームが殺到し、それに便乗して日本の進歩的文化人からも猛批判を浴びるのが定例でした。ちなみに北朝鮮の社会の停滞と、官吏の著しいレベル低下を始めて世に明らかにしたのが、1984年刊行の「凍土の共和国」です。