琉球王国の時代は間切や村を領有する王子家・地頭階級は首里に居住し、士族の大半を占める無禄士族は首里、那覇、久米、泊に居住していました。彼らは直接農村に出向くことがなかったので奉公人は琉球王府の地方行政にとって欠かせない存在でした。
琉球・沖縄の歴史上で奉公人の教育を受けた著名人は謝花昇(1865~1908)*です。彼は13歳の時に奉公人として採用され、東風平間切内の按司地頭御殿に勤務します。彼のように農村の優秀な子弟を10代前半で選抜して村内(あるいは首里)で教育を施すのが一般的でした。奉公人は租税の軽減など様々な特権を有していましたが、最大の特徴は文字の読み書きができたことです。
*謝花昇の伝記は数多く発刊されていますが、幼少期に奉公人として採用されたエピソードを記載していない伝記は信用してはいけません。