琉球・沖縄の歴史の概要その2

玉城くんの時代には3人の有力な権力者が存在していましたが、これは1台のPCに3つのユーザーアカウントが存在する状態*と考えましょう。ただし残念なことに肝心の中山の系統は玉城くん以降さっぱりふるわず、5代目のときについに新しい利用者によって乗っ取られてしまいます。それが察度くん*です。

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*便宜上北山、中山、南山の政治/社会制度がほぼ同一であると仮定します。

*察度(さつど:1321~1395)現在の宜野湾市大謝名出身らしい。1350年(貞和6)に中山国の王となります。王統は察度と武寧の2代で1406年に佐敷の豪族である巴志(はし)に滅ぼされます。

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琉球・沖縄の歴史の概要その1

ここからは我が沖縄県民はどのような歴史を経て現在に至ったか、実に強引ですがPCとオペレーティングシステム(OS)そしてPCユーザーに例えて概要を説明します。

・PC=琉球・沖縄
・OS=政治・社会制度
・PCユーザー=歴代の権力者等。ユーザーと記載しましたがここでは所有者でなく主に利用者の意味で使います

琉球・沖縄の通史は17世紀中ごろに編纂された中山世鑑(ちゅうざんせいかん)を始めとしてそれこそ数多くの名著があります。現代ではインターネット検索で琉球・沖縄の歴史の概要を簡単に調べることも可能です。今更ですがブログ主も調子に乗って琉球・沖縄の通史を語ることから始めます。なお数多ある琉球・沖縄の通史および書籍でブログ主が参考にした文献はは以下記載の通りです。

・沖縄県政五十年:太田朝敷(1931)
・沖縄の歴史:比嘉春潮著(1959)
・沖縄歴史散歩:大城立裕(1980)
・昭和の沖縄:琉球新報社会部編(1986)
・ことばに見る沖縄戦後史(上・下):琉球新報社(1992)

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はじめに

琉球国は南海の勝地にして
三韓の秀を鍾め、大明を以て輔車となし
日域を以て脣歯となす
此の二者の中間に在りて湧出する所の蓬莱島なり。

上記は1458年(長禄2)首里城正殿に掲げた大鐘(万国津梁の鐘)に刻まれた銘文(の一部)で、現代語訳は以下の通り。

「琉球国は南海の勝地で、三韓の秀をあつめ、中国・日本とも親密な関係にある。この二国の間に沸きいずる蓬莱の島である。」

勝地:地勢(あるいは地政学的に)優れた土地
三韓:朝鮮半島
大明:中国大陸の政権(当時は明)
日域:日本の政権(当時は足利家による室町幕府の時代)

この一文は沖縄の地理的条件を的確に表現しています。中国大陸と日本列島の中間の位置にあり、東南アジアへのアクセスも可能で交易中継地としては申し分のないまさに勝地です。ただし、中国大陸や日本の政変の影響を強く受けることも見逃せません。

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あいさつ

「うちな~んちゅ」という言葉があります。「うちな~」は沖縄、「ちゅ」は~の人ですから「沖縄の人」と和訳がぴったり合うかもしれません。ただしこの単語は「沖縄人」と和訳してはいけません。「沖縄県民」「沖縄県人」ならセーフです。

ではなぜ「うちなーんちゅ」を沖縄人と和訳してはいけないのでしょうか。それは沖縄人という言葉の響きから「君たちは日本人ではない」というニュアンスを感じ取って、そして本能的に反発するからです。アメリカの人のことをアメリカ人と呼んでも差し支えありません。関西出身の人のことを関西人と呼んでも彼らは別に気にもしません。○○人と呼ばれて嫌な感情を抱くことはあるでしょうが沖縄県民ほどではありません。

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