玉城くんの時代には3人の有力な権力者が存在していましたが、これは1台のPCに3つのユーザーアカウントが存在する状態*と考えましょう。ただし残念なことに肝心の中山の系統は玉城くん以降さっぱりふるわず、5代目のときについに新しい利用者によって乗っ取られてしまいます。それが察度くん*です。
*便宜上北山、中山、南山の政治/社会制度がほぼ同一であると仮定します。
*察度(さつど:1321~1395)現在の宜野湾市大謝名出身らしい。1350年(貞和6)に中山国の王となります。王統は察度と武寧の2代で1406年に佐敷の豪族である巴志(はし)に滅ぼされます。