考察

本土と沖縄のヤクザ組織の違いについての考察

今回は昭和に限定して、本土と沖縄の暴力団組織の違いについて言及します。本土のヤクザ映画などの主要なテーマのひとつに”兄弟間の相克”がありますが、実は沖縄ヤクザをモデルにすると兄弟対立を主とした物語を描くことができません。なぜそうなるのかをブログ主なりに説明しますので読者のみなさん是非ご参照ください。

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仮説『万国津梁の碑文』- その2

前回の記事で”万国津梁の碑文”についてブログ主なりに説明しました。今回はなぜ尚泰久王が仏教に”ハマったか”について考察します。

ちなみに尚泰久王は明暦景泰5年(1454年)、46歳の時に即位して、1460年に亡くなっています。その間に建立した寺院の一覧は下記参照ください。

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仮説『万国津梁の碑文』- その1

今回はちょっとまじめに”万国津梁の鐘の碑文”について言及します。あくまでも現時点における”仮説”ですが、『球陽』と碑文を照らし合わせてみると興味深いことに気がつきましたのでまとめてみました。

その前にこの碑文について言及すると、我が沖縄においてはあまりにも有名な一節

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ハジチ考

ここ数日、当ブログのアクセス数が異常な伸びを示していたので、Google Analytics を使ってその原因を探ってみました。どうやら令和元年8月26日の沖縄タイムス電子版の記事がきっかけで、当ブログの該当記事にアクセスが集中したようです。

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血縁カリスマの考察

以前、当ブログにて我が沖縄社会は血縁を通じてカリスマが継承されるという考え方がないことについて言及しました。その際になぜ血縁カリスマの発想が生まれなかったかについては触れませんでしたが、偶然にもその理由のひとつに気が付きましたので今回記事に纏めてみました。

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上級県民の考察

近年インターネットスラングから一般的に認知されつつある用語に上級国民があります。平成28年(2015年)7月に端を発した東京オリンピックのエンブレム騒動がきっかけですが、平成31年(2019年)4月19日に池袋で発生した悲惨な交通事故に対するマスコミ報道がこのネットスラングを結果的に拡散させてしまうことになりました。

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血縁が担うカリスマ

今回は沖縄社会における血縁カリスマについて言及します。タイトルの「血縁が担うカリスマ」という語句は聞きなれないかもしれませんが、大まかに説明すると血縁を通じてカリスマが継承される思考になります。もちろん血縁とカリスマは独立した概念であって、血のつながりによってカリスマが保持されるという考え方は一見すると奇妙に思えるかもしれません。だがしかし、昭和の日本社会にはこの発想が散見されたのです。

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琉球神話に関するちょっとした考察

今回は”琉球開闢”について言及します。というのも当ブログ開始から2年強、おかげさまで配信記事も550を超えましたが、そのなかで琉球神話を取り上げたトピックがひとつもないことに気が付きました。苟も歴史ブログを運営している以上、琉球神話に触れないとさすがにまずいかなと思い、今回ちょっとした考察記事を纏めてみました。まずは羽地朝秀編纂『中山世鑑』から琉球開闢に関する記述を紹介します。ただし原文は読みづらい部分があるので、比嘉朝潮著『沖縄の歴史』からの現代語訳を掲載しました。読者のみなさん、是非ご参照ください。

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我が沖縄県の学力低下の原因を歴史的に考察してみた

今回はちょっと真面目に我が沖縄県の学力低下の原因を歴史的に考察します。正直なところ現在のブログ主のレベルでは手にあまるテーマではありますが、歴史的にさかのぼって考察すると面白い仮説ができあがりましたので、この場を借りて紹介します。拙文ではありますが読者の皆さん是非ご参照ください。

その前に琉球藩時代の士族における学問の目的について言及します。明治8年(1875年)に来琉した河原田盛美(かわらだ・もりはる)氏の『琉球紀行』より、那覇士族の実態について言及している箇所を抜粋します。

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琉球王国はなぜ米仏蘭との国際条約に清国の暦法を使用したかの考察

先日、ブログ主は東恩納寛惇著『尚泰候実録』の351㌻(明治11年候36歳)の項目を読んでいたところ、同年10月7日付で在日清国公使の何如璋(か・じょしょう)が寺島宗則外務卿宛てに出した書簡についての記述に目が留まりました。その一部分を抜粋しますので、読者のみなさんぜひご参照ください。

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琉球・沖縄における”改名”についてのちょっとした考察

ふとしたきっかけで琉球・沖縄と中国大陸(および台湾)との文化の相違についてブログ主なりにあれこれ調べてみたところ、一番わかりやすい”違い”は”名前(姓名)”であることに気が付きました。よく考えてみると我が琉球・沖縄は権力者間(たとえば尚家と中華の皇帝)で長きに渡る付き合いがあり、アメリカ世の時代は台湾との交流も盛んでした。にもかかわらず民間の文化や民族に中国的なセンスが浸透しているとは思えない節があります。

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うちなー高齢者あるあるを調子に乗って列挙してみた件

今回は軽い気持ちで、平成30年度版“うちなー高齢者あるある”を書き綴ってみました。ちなみに昭和25年(1950年)前後の第一次ベビーブームに生れた世代(つまり70代後半)を念頭においています。実際にどれだけあてはまるか、よろしければ読者の皆さん是非ご検討ください。

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琉球独立論考

先日ブログ主は川瀬俊治著 『琉球独立は可能か』 を購入しました。金城実さんと松島泰勝氏の対談形式で果たして琉球独立が可能かどうかについて考察した著作です。この著書は全八章からなり、実はまだ第八章 (琉球連邦共和国を目指す)は読んでいませんが、面白いことを発見したので先に記事にします。

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西銘県政における最大の業績は何か?

以前に当ブログ内で西銘順治知事時代の業績について記事にしましたが(八重山日報「調査の中で分かった西銘順治氏の存在感」の記事について思ったこと)、今回は西銘県政における最大の業績について考察します。

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公同会運動の考察 その7

前回までに公同会運動に至るまでの社会の動きや勢力について説明しました。今回は公同会運動の狙いと、なぜ明治政府によって拒絶されたかを考察します。

公同会は王族を中心とした発起人7人(8人説もあり)で結成された沖縄初の政治結社です。首里に本部を置き、地方にも支部を設置して、会則を定め、総会や委員会の定例会を開くなど、かなり気合の入った団体でした。そして公同会のメンバーは那覇や首里の都市部だけではなく、地方にも遊説して沖縄に特別の自治制度を設置することに対する支持を呼びかけます。

公同会の趣意書を3行でまとめると

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