当運営ブログは、今年で7年目を迎えましたが、実は近現代の大衆文化(風俗等含む)は積極的に取り上げて来たブログ主が、長年オキナワン・ロックには手を付ける気になりませんでした。
現代史いろいろ
オキナワンロックの “最期”
すでにご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、沖縄アリーナにて絶賛開催中のFIBAバスケットボール・ワールドカップにおいて、日本代表はグループステージ1次ラウンド(27日)でフィンランド代表相手に大金星をあげました。
オキナワンロックの “黄昏”
すでにご存じのことかと思われますが、本日(25日)からFIBAバスケットボールワールドカップ2023の1次ラウンドが沖縄で開幕します。なお、この大会を契機に沖縄市は琉球ゴールデンキングスの本拠地としての認知度を世界中にアピールする機会を得たわけであり、ブログ主は大会が無事成功することを祈ってやみません。
お、おう……
本日ブログ主は、台風6号の影響で自宅に缶詰め状態のため、これまで蒐集した史料をチェックしたところ、OneNote に保存していた風俗関連の史料が同期エラーで全滅している件に気が付きました。
売春宿エレジー 食う者は食われる
緊張のせいか被告人新里幸子(四十二歳)=仮名=の顔は青ざめている。左手に花柄のハンカチを強く握りしめ、判決宣告に対する不安に耐えている様子である。新里の罪名は売春防止法違反。新里の経営する小料理店「小菊」=仮名=において、売春婦二人が多数回にわたって不特定の遊客らを相手方として売春するに際し、その情を知りながら、「小菊」の客室を売春婦らに使用せしめ、もって売春を行う場所を提供したというのが公訴事実である。
ある有名な野球選手の兄弟がいまして
ご存じのとおり当運営ブログでは、今年の4月21日から「ロックとコザ」の川満勝弘編(愛称:カッちゃん)を不定期連載しています。ただし、カッちゃんの証言は時系列があいまいなところがあるので、これまた不定期ながら沖縄県立図書館に出向いて、裏付け史料を集めています。その際についうっかり沖縄ヤクザなど複数のじわじわくる記事を発見したりするわけですが、今回は「ロックとコザ」の喜屋武幸雄編からきわめて興味深い証言と、その裏付け(らしい)史料を見つけましたので、(時効だからいいだろうと思いつつ)当ブログにて紹介します。
りうきうと北朝鮮
4年前になりますが、ブログ主は “学びの国…がぴったり” と題した記事を配信し、沖縄教職員組合の石川元平氏による朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)への訪問記事を紹介しました。
ロックとコザと “納税”
先月21日から「ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編」と題して、故川満勝弘さんの証言を写本し、当ブログにて公開していますが、その過程でいろいろな “気づき” があったので、試しに記事としてまとめてみました。
廃藩置県と琉球処分の考察 – その2
(続き)前回の記事にて、沖縄の復帰運動における、一部沖縄県民のやり場のない怒りが、明治12(1879)年の廃藩置県に対する歴史認識に大きな影響を及ぼしている件についてブログ主なりに言及しました。今回は、この点についての補足説明を加えながら、「琉球処分」という用語がいかにマイナスイメージに染まっていったかを説明します。
廃藩置県と琉球処分の考察 – その1
今回は、前々回に公開した「県政百年の知事メッセージ(昭和54年)」に関連して、同時期の沖縄タイムスの記事と比較したところ、「県政百年」に関する認識の違いにじわじわきたので、試しに記事にまとめてみました。
県政百年の知事メッセージ(昭和54年)
本日は、(ブログ主的に)野球シーズンがひと段落したので、ブログネタになりそうな史料を探しに、ひさびさに沖縄県立図書館を訪れました。そういえば4月4日は、明治12(1879)年に廃藩置県が施行されて140年以上経っているなと思いつつ、試しに復帰後の関連記事をチェックしたところ、興味深い史料を発見しました。
今帰仁延子さんの考察 – その3
(続き)10代の経験が、後年に及ぼす影響についてはよく知られていますが、今帰仁さんも例にもれず、13歳から17歳までの4年間に受けた教育がその後の生きざまに決定的な影響を及ぼしたことは間違いありません。
その前に、彼女が如何に “特別な存在” であったかについて同級生の証言を紹介します。
今帰仁延子さんの考察 – その2
(続き)今回は、ブログ主が確認できた史料を基に、作成した今帰仁延子さんの年表をアップします。すると、幼少期の体験が今帰仁さんに決定的な影響を与えていたことが理解できますので、そのあたりをできる限り、そして調子に乗って分かりやすく説明していきます。
恐怖の白い粉(6) 原産地とルート
タイ国、専売制度を設け売りさばく いわゆる「発見の時代」にヨーロッパ人がやってくるまで、東南アジアの人々は、アヘンを知らずにいた。アヘンが公然と流れるようになったのは十九世紀。それは、十八世紀にイギリスの「東インド会社」が中国にアヘンを持ち込んできたのが最初だという。アジア人にアヘンは膨大なもうけになることを教えたのは今世紀になってからといわれる。一九二〇年ごろになると、タイ政府がアヘンから吸い上げた利益は、国庫収入の十五 – 二〇%を占めたという。
恐怖の白い粉(5) 運び屋
現役女性軍人が重要な役割 麻薬を運ぶ方法は、直接人間が持ち運ぶのと、物だけを送るという方法があるのは前回で述べた。もっぱら人間に運ばせていた “沖縄マフィア” の場合はどうだったか – 。
“運び屋” ハリー・キャッシー(二六)は現役女性軍人である。彼女は “沖縄マフィア” の中でも重要な任務を背負っていた。県警では、春先に得たいくつかの有力な情報から “運び屋” の中心人物はキャッシーに間違いない – との確信を持った。それ以後八月十日に逮捕されるまで、まる五カ月間の追跡が昼夜を徹して行われたのである。張り込みにつぐ張り込みが根気強く続けられた。