現代史いろいろ

ユタとりうきう

少し前に当ブログで “りうきうにおける神権政治” についての記事をアップしましたが、今回はそのついでにりうきう社会におけるユタについて言及します。

その前にブログ主なりにユタを定義すると、大雑把には “民間から自然発生した神に操られる者たち” で、この点が重要ですが彼ら(あるいは彼女らは)琉球王国時代の神女組織とは(原則として)独立した存在だったのです。参考までにりうきう社会の神女組織について、伊波普猷著『ユタの歴史的研究』を参考にまとめてみると、

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戦前の沖縄社会になぜ反社会的勢力が存在しなかったの考察 – 結社の概念なき社会その2

(続き)前の記事で廃藩置県以前の琉球社会には(一部の例外を除いて)結社の概念がなかったことを説明しましたが、今回は補足として女性たちの世界についても言及します。女性たちの世界の代表的なものに辻町、仲島、渡地(わたんじ)などの花街と那覇東町を代表とする市場があります。

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戦前の沖縄社会になぜ反社会的勢力が存在しなかったの考察 – 結社の概念なき社会その1

(続き)琉球・沖縄の歴史を俯瞰すると、意外に思われるかもしれませんが、廃藩置県以前のりうきう社会には “結社の概念” を(もちろんゼロではありませんが)見つけることが非常に難しいです。その前に結社について定義すると “目的を達成するために結成された機能集団” のことであり、成立のために条件として

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戦前の沖縄社会になぜ反社会的勢力が存在しなかったの考察 – プロローグ

今回から数回にわたって古琉球から戦前の琉球・沖縄社会にヤクザが存在しなかったかをまじめに考察します。ご存じのとおり、琉球・沖縄の歴史において反社会的勢力が階級を作り上げたのは昭和20年(1945)以降で、それ以前の社会ではヤクザが存在する余地はありませんでした。沖縄社会にヤクザが存在しなかったことに関して、以前当ブログでも取り上げましたが、宮城嗣吉(みやぎ・しきち)さんの証言を再掲載しますのでご参照ください。

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ひめゆりの塔事件と沖縄二紙

今回は昭和50(1975)年7月17日に起こった “ひめゆりの塔” 事件に対する沖縄二紙の取り扱いの違いについて言及します。この事件は “コザ暴動” と “沖縄ゼネスト警官殺傷事件” と比べてみるとよくわかりますが、民間の反応が全然ちがうのです。

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修行が足りない

昭和50(1975)年7月17日に起こった “ひめゆりの塔事件” に関して、当時の新聞をチェックすると極めて香ばしいコメントが見つかりました。事件概要について今回は詳細な説明を割愛しますが、この事件に関して当時の沖縄県民は総じて “暴力で訴えるのはよくない” と批判的に受け止めています。

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暴挙の民の返上

基地の街の話題といえば、コザの外人車、焼きうち事件でもちきりである。積年の米政策に対する怒りが爆発したのだ!というのが一般の世論?と受けとられがちだが、声なき声どころか、これはマスコミのつくりだした風潮だと嘆く人々の多いことを知るべきである。

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コザ暴動の教訓 – 暴力追放の例外

今回もまじめにコザ暴動の歴史的教訓について言及します。参考までに事件当時(昭和45年)のコザ暴動に対する琉球住民の評価は “事件の責任は米軍側にあり、起こるべくして起こった” で一致しています。

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コザ暴動の教訓 – 建前と本音の乖離

“「建前」は必要なものだ。誰の中にも潜む差別、怒り、ねたみを「本音だから」とそのままぶちまければ、やがて暴力が社会を破壊する。トランプ氏の「本音トーク」4年間の帰結を見れば、はっきりしている。”

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コザ暴動 – まとめページ

昭和45(1970)年12月20日に発生したコザ暴動のまとめページを作成しました。おそらく琉球・沖縄の歴史において “語り継ぎたい歴史” のひとつかと思われますが、当運営ブログでは事件を “美化することなく” 当時の新聞など史料を参考に記事を作成してきました。

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コザ暴動について – 琉球新報のドキュメント記事

今回は昭和45(1970)年12月21付琉球新報に掲載されたコザ暴動の “ドキュメント” 全文を紹介します。ドキュメント記事に関しては同日発行の沖縄タイムスにも掲載されていましたが、複数の史料を参照の上、琉球新報の記事がもっとも真実を伝えている内容と判断しました。

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コザ暴動について – 新聞報道

今回は昭和45(1970)年12月20日付、および同月21日付琉球新報のコザ暴動に関する記事を紹介します。この事件のすごさは新聞記事にも反映されて、コザ暴動が発生したのが20日午前2時ごろですが、なんと当日朝刊13面に事件の一報が掲載されているのです。

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コザ暴動について – 糸満主婦れき殺事件の余波その2

(続き)前回、昭和46(1971)年9月18日に糸満で起こった米兵による主婦れき殺事件の軍事裁判の経緯について言及しました。無罪判決にいたるまでの流れを調べると、当時の琉球住民たちが激怒するのも無理はない話ですが、だがしかし “無罪判決” は近代デモクラシーにおける裁判制度では十分にありえるのです。

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コザ暴動について – 糸満主婦れき殺事件の余波その1

(続き)前回は昭和43(1968)年12月に誕生した屋良朝苗政権に対する琉球住民の不満がコザ暴動の “遠因” であることを言及しましたが、今回は “近因” である米国民政府に対する爆発的な不満、その導火線になった昭和45(1970)年9月18日に糸満で起きた米兵による主婦れき殺事件について説明します。

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コザ暴動について プロローグ

12月に入ってから、我が沖縄のマスコミでは “コザ暴動” に関する報道数が著しく増えています。事件発生から今年で50年の節目にさまざまなイベントも開催され、事件に関する関心も高まっているように見受けられます。

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