現代史いろいろ

非武装、中立あり得ぬ

昭和53年(1978年)10月以降の琉球新報をチェックしたところ、鄧小平副首相訪日(22日)とそれに関する記事が複数掲載されていました。一番興味深いのが11月2日夕刊一面に掲載された廖承志(りょう・しょうし)中日友好協会会長のインタビュー記事です。この記事を読むと中国側のほうが現実感覚に優れ、日本の一部知識人の現実感覚のなさが浮き彫りになっていて、「当時も今も状況はあまり変わっていないな」と思わざるを得ませんでした。

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教員は中立犯さない

現在ブログ主は、昭和42年(1967年)における「教公二法関連」の当時の新聞や回顧録等を調べています。沖縄県立図書館(現在郷土資料室のみ利用可)では当時の新聞が閲覧できますし、ブログ主自身でも回顧録等を購入してできる限りの資料集めに奮闘していますが、その中で貴重な証言を見つけましたので今回の記事にて紹介します。

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俺が調子に乗って普天間第二小学校の歴史を語ってみよう その4

前回まで普天間第二小学校の誕生の経緯と、移転計画が断念した流れについて説明しました。今回は平成22(2010)年1月に産経新聞に掲載された記事について検証します。まず物議を醸した記事をご参照ください(現在リンク先にはアクセスできないため、Web 魚拓等からの全文掲載)。

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俺が調子に乗って普天間第二小学校の歴史を語ってみよう その2

前回までに普天間第二小学校が誕生した流れを簡単に説明しました。今回からは移転計画の頓挫と、校舎立て替えにいたる経緯について、公開された情報をベースに記述します。

その前に普天間第二小学校PTA新聞(第72号)に、新校舎落成の記事が掲載されていますので全文抜粋します。

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俺が調子に乗って普天間第二小学校の歴史を語ってみよう その1

去る12月13日に起こった飛行中の米軍へリの部品が普天間第二小学校へ落ちた事件に関連して、ブログ主が普天間第二小学校の歴史を調べてみましたので掲載します。普天間第二小学校の歴史(とくに移転問題)に関しては裏づけなしの噂話が多すぎるので、今回は公開された情報のみで歴史を振り返ります。

普天間第二小学校の分離開校は我が宜野湾市では初のケースで、その理由は人口の急増です。そのため昭和37年(1962)の市制施行からさかのぼって学校の歴史を鑑みるのがよいと考えます。

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別に「不屈」は瀬長亀次郎さんだけではないお話

2017年8月12日にドキュメンタリー『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』が公開され、我が沖縄県ではちょっとした亀次郎ブームになっています。瀬長亀次郎さんのキャッチフレーズはご存知の通り「不屈」で、彼はアメリカ軍の占領行政に立ち向かったヒーロー扱いになっています。

たしかに人民党事件で逮捕・投獄されましたし、那覇市長に就任もその後追放され、しかも10年間公民権を剥奪されても志を曲げることはありませんでした。たしかにその点では「不屈」です。だがしかし、瀬長亀次郎さん以外にも米軍の施政に立ち向かった無名の沖縄人(今回は敢えてこの名称を使います)は多数いるわけで、今回はその中から一人前田武行裁判長について取り上げます。

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現代社会の古典離れを憂うお話 その2

Junji_Nishime

現代社会において、「若者の○○離れ」という言葉があります。マスメディアが作り出した言葉のようですが、代表的なのが「若者の車離れ」という語句ではないでしょうか。実は古典も当てはまります。昨今に出版された沖縄本を参照すると、明らかに古典の知識が欠けているなと思われる書籍が非常に多いのが気になります。

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