現代史いろいろ

交通解消難にモノレール

今月1日に浦添市まで延長された沖縄都市モノレール(ゆいレール)に関して、同日の沖縄タイムス27面に仲本安一(なかもと・あいち)さんのインタビュー記事が掲載されました。

ゆいレールに関するエピソードでは必ず名前が出てくるのが高良一(たから・はじめ)さん、平良良松(たいら・りょうしょう)元那覇市長、そして西銘順治元県知事あたりですが、参考までに10月1日の沖縄タイムスの記事一部を書き写しました。読者のみなさん是非ご参照ください。

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飯田猶という人物

今回は復帰後の沖縄において実際にあった反自衛隊闘争について言及します。いまではありえないことですが、我が沖縄において自衛隊所属のスポーツ選手は沖縄代表として国体に派遣されることはありませんでした。その前例になった事件については後日説明しますが、昭和52(1977)年10月開催の第32回国体秋季大会(青森県)で初めて自衛隊所属の選手が国体に派遣されます。

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黒い祖国復帰運動

今回もアメリカ世時代の新聞ネタをもとに記事を作成しますが、昭和39(1964)年8月7日付琉球新報夕刊1面に”ものくゆすどわが御主”というタイトルで祖国復帰に関する世代間対立のコラムが掲載されていました。

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おかあさんありがとう – 「母の日」の入選作文と図画

1964年5月8日付琉球新報に「おかあさんありがとう」と題した母の日図画作文コンクールの記事が掲載されていました。琉球新報とデパート・リウボウとの共同企画で全琉の小学生からおかあさんへの感謝の気持ちを表す図画と作文を募り、特賞、一等などの入選者はその作品が掲載されていました。

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学びの国…がぴったり

本日もブログ主は沖縄県立図書館を訪れて史料チェックをしていましたが、その中で極めて興味深い記事を発見しました。それは昭和52(1977)年8月29日付琉球新報5面に「学びの国…がぴったり」と題したとある国の教育事情についての記事です。

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平和の擁護 – 原子戦争反対、沖縄の原水爆基地化反対

前回の記事においてブログ主は沖縄原水協の分裂騒動について言及しました。なぜこの記事に関心をもったかと言うと、実は以前に沖縄人民党第七回党大会(1956年1月22日)および民連選挙の綱領を見たことがあるからです。

たとえば沖縄人民党第七回党大会の綱領には

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不屈の精神とは言うけどさ……

本日沖縄県立図書館で琉球新報の記事をチェックしていたところ、昭和39(1964)年7月21日付琉球新報朝刊1面に「原水協、分裂状態に」と題した沖縄原水協の分裂騒動についての記事が掲載されていました。ブログ主は原水協(原水爆禁止日本協議会)など日本の原水爆禁止運動については詳しい知識はありませんが、それでも記事内に気になる記述がありましたので当ブログにて紹介します。

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自衛隊は招かざる客

前回の記事があまりにも反響を呼び過ぎたため、正直公開をためらいましたが、今回は昭和52年1月の自衛官成人式不招待問題の記事を紹介します。ちなみにこの問題は、昭和54年(1979年)から那覇市が成人式の主催を地区実行委員会に変更したことで解決します。つまり地区の実行委員会が成人式に自衛隊員を招待するようになったことで、那覇市長の事実上の敗北という形で決着がついたのです。

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院外団と暴力

昭和37年(1962年)12月8日、琉球政府主席を指名するために開催された立法院の臨時議会において、琉球・沖縄の歴史に残る大騒動が起きました。大まかに説明すると、主席公選を主張する野党側(社会大衆党、社会党、人民党)が臨時議会における主席指名を阻止するために院外団(革新共闘会議、沖教祖など)を動員、そして彼等の一部(300人ぐらい)が立法院に乱入して与党議員を軟禁し最終的に琉球警察によって排除された事件です。

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不発弾の処理と自衛隊

今回も沖縄県と自衛隊に関する話題を提供します。昭和47年(1972年)に復帰した際の問題のひとつに不発弾処理があります。実はアメリカ世の時代(1945~1972)は沖縄戦の結果生じた大量の不発弾はアメリカ軍が処理しましたが、復帰後はアメリカ側が処理業務を断った経緯があります。この案件に関しては沖縄県と政府との交渉の結果、最終的に自衛隊が処理することで決着しました。その時の記事全文を書き写しましたので、読者のみなさん是非ご参照ください。

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