現代史いろいろ

短銃で射たれ重傷 – 壷屋、暴力団のヤミ打ちか

前回ひさびさに沖縄ヤクザ関連の記事を掲載しました(『縄張り”暁に死す”』)。予想通りアクセス数が凄かったので、今回も調子に乗って昭和37年(1962年)11月13日に発生した又吉世喜銃撃事件について言及します。この事件は本土から”ヒットマン”を派遣して銃撃という沖縄ヤクザ史上初の事件であることと、この後抗争事件で銃撃が多発する歴史的?な出来事になりました。今回は当時の新聞と警察関係者、および昭和38年3月号の『月間沖縄』からの資料を掲載します。是非ご参照ください。

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縄張り”暁に死す”

今回は当ブログ読者のみなさんお待ちかね?の沖縄ヤクザネタを掲載します。ブログ主の手元にある史料から、昭和36年11月号『月間沖縄』に掲載された西原飛行場における暴行事件について掲載します。その事件の概要は下記ご参照ください。

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とある有名な政治家の隠し子?のお話

9月13日付週刊文春に、今月30日予定されている沖縄県知事選挙に立候補する候補者2人に関する記事が掲載されていました。(沖縄知事選<与野党候補>「隠し子疑惑」を連続直撃)。真偽はともかく「作文」としてはなかなか面白いこの記事に対して、ブログ主は該当の候補者がどう振る舞うか非常に興味あります。

それと、この記事を読んだ際に、ブログ主はとある有名な政治家の「隠し子?」について思い出したので当ブログにて言及します。昭和38年(1963年)5月10日発行『月間沖縄』の中で仲宗根源和さんが『現代人物評伝』の記事のなかでこの政治家の隠し子?に触れていましたのでその部分を抜粋します。なお一部伏字ですが、おそらく賢明な読者の皆様なら誰のことかはうすうす察することができるはず、是非ご参照ください。

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革新共闘会議とオール沖縄会議との共通点について

Chobyo_Yara

今月30日投開票の沖縄知事選に関連して、ブログ主は沖縄における県知事選挙の原型ともいえる昭和43年(1968年)の琉球政府主席公選について調べてみました。この時の主席公選は前年(1967年)11月15日の佐藤・ジョンソン声明に対する是非を問う選挙になりました。その声明における沖縄返還に関する項目は下記を参照ください。

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アメリカ世を象徴する建築物

先日、松岡政保(まつおか・せいほ)氏の回顧録『波乱と激動の回想』を流し読みした際に、実に興味深い箇所を発見しました。それは同著343㌻から「歴代高等弁務官の思い出」について記している中で、琉球政府行政府ビルから米民政府が移転したエピソードを追記していることです。

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長嶺秋夫さんのいい話 – その2

今回も長嶺秋夫さんのいい話を掲載します。以前、当ブログにて『台湾および大陸の中国人との付き合いについての考察』という記事を配信しました。その中で長谷川慶太郎著『迷走する中国』からのエピソードを抜粋して、台湾および大陸の中国人との交際には事実に基づいた率直な態度が必要であることを明記しました。長嶺秋夫さんは複数回台湾を訪問していますが、彼も台湾の中国人と接する際に”率直さ”をもって対応しています。

台湾の中国人は我が沖縄のことを”琉球”と呼び、日本と琉球は別であると認識する傾向があります。長嶺さんはこの点について、「沖縄県民は、まぎれもない日本人であると同時に……」と明快に説明し、そのことが現地の人達からかえって好感をもって受け止められます。昭和40年(1965年)の話ですが、現在でも通用する内容ですので読者のみなさん、是非ご参照ください。

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長嶺秋夫さんのいい話 – その1

今回はアメリカ世の時代(1945~1972)における立法院(現在の沖縄県議会)の名議長として名を馳せた長嶺秋夫(ながみね・あきお)さんのいい話を掲載します。彼は昭和29年3月(1954年3月)に第2回立法院議員に当選して18年間立法院副議長および議長を歴任し、戦後沖縄の政治を語る上で欠かせない人物と言っても過言ではありません。

長嶺氏の自叙伝である『私の歩んだ道』(昭和60年刊行)はブログ主もよく参照しますが、その中に佐藤栄作首相のエピソードが記載されていました。該当部分を抜粋します。長嶺さんの短い証言から佐藤首相の沖縄に対する”格別な想い”を感じ取ることができます。

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沖縄ヤクザ関連の蒐集したエピソードを適当にならべてみた – その2

以前、沖縄ヤクザに関するエピソードを当ブログにて紹介しました。この記事は予想の斜め上をいく反響があり、調子に乗ったブログ主が現時点で蒐集したエピソードを掲載します。ちなみに沖縄ヤクザの歴史に興味を持った理由はただひとつ、以前にも指摘しましたが大日本帝国時代にはアウトローを束ねる組織がなかったからです。

つまり大東亜戦争敗北により、沖縄が米国の施政権下になったことで生じた産物の一つなのです。こういうところをこまめにチェックすると歴史教科書では見えてこない復帰前(あるいは直後)の沖縄社会の”真実”を察知できるのが実に興味深い。余談はここまでにしてさっそくですがアングラネタ好きな読者の皆さん、是非ご参照ください(今回は武器関係のお話)。

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【再考】 キャンプ・シュワブ誕生の経緯 – その4

今回は、“キャンプ・シュワブ誘致説”の根拠の一つでしょうか、平成4年(1992年)9月18日の沖縄タイムスに連載された『弁務官周辺の秘話 – ジョージ・サンキ語学将校の証言』の全文を抜粋します。読者のみなさん是非ご参照ください。

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小渡三郎さんのエピソード

唐突ですが、なんとなくゆるい記事を書きたいとの思いつきから、今回は小渡三郎(おど・さぶろう)さんのエピソードを掲載します。ちなみにこの人、追悼録を読むと打線が組めるほどエピソードが豊富ですが、今回はその中のひとつで昭和19年(1944年)に海軍兵学校を受験するために鹿児島で起こした事件を紹介します。

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