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1913年(大正2)のユタ裁判 その8

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ここまで延々と1913年(大正2)のユタ裁判の公判記事を掲載しました。第3回公判で被告仲地カマドを拘留20日の刑に処す判決が下され一件落着と行きたいところですが、そこは往生際の悪いカマドさん、区役所の判決を不服として地方裁判所に控訴したため、当時の沖縄社会はまたまた大騒ぎになります。

本日から1913年3月17日行われた那覇地区地方裁判所での第二審公判の内容を掲載します。

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1913年(大正2)のユタ裁判 その6

前回の公判で城間ゴゼイさんの証言のよって仲地カマドさんはピンチに陥ります。ロールプレイングゲームに例えるとクリティカルヒットを食らった状態です。しかもそれだけではなく、第三回公判においてもう一人の主人公である具志堅マウシさん(49)が証人として出廷することで、カマドさんは絶体絶命の状態に追い込まれます。では具志堅マウシさんが殺る気満々で登場した1913年(大正2)3月4日に行われた第三回の公判の記事をアップします。

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1913年(大正2)のユタ裁判 その5

今回は1913年(大正2)3月1日に行われた第二回の公判の全文をアップします。

証人城間ゴゼイの証言次第で運命が決まるユタ側では、かたずを呑んで待ち受けた。ゴゼイは、深く心に決するものがあるようで、判事の偽証罪についての注意にもキッパリ誓って訊問に応じた。

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1913年(大正2)のユタ裁判 その4

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前回までに記述した第一回の公判の内容をまとめると

仲地カマドさん

1.2月17日に具志堅マウシさん宅を訪問したことは認めるも、容疑内容については「覚えていません」。

2.自分はユタをする身分ではない。

3.祈祷は自分のために行うもので、他人に対して行ったことはない。

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1913年(大正2)のユタ裁判 その3

前島清三郎

1913年(大正2)2月27日の那覇区裁判所で行われた第一回の公判の続きです。

長野判事 被告が警察で自白したことによれば、東町の大火後、具志堅マウシ宅に行き、西、東町の人たちが上波之上、下波之上、及び天尊小堀に祈祷するという話があり、また泉崎の小娘が、人々に神の宣託を授けているということだが、自分の所にもこの間観音様が現れ、世界の宝は何と何かと質問されたので、自分は知らないと答えたら、神様は、世界の宝は火と水じゃ、世間の無知な者たちは、天に神があることは知っているが、知の神を知らない。地の神は、天の神より一層大切に拝むべきもので、人間の家も草木も、一切の作物も、すべて地の恵みで生まれているのである。然るに世人はそれを知らずに、今まで地の神をおろそかにしてきたのは不都合である。何時大難が起こるか知らないぞ、との御告げがあったというが、本当ですか?

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1913年(大正2)のユタ裁判 その2

なぜユタを信じるのか?

本日から1913年(大正2)2月27日より、計4回行われたユタ裁判について記述します。登場人物や時代背景などできる限り説明しつつ、友寄隆静氏の口語訳をベースに公判の全文を掲載します。

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1913年(大正2)のユタ裁判 その1

なぜユタを信じるのか?

前回の記事でユタについて取り上げました。ついでと言っては何ですが、今回の記事から近代においてユタの問題が社会的にクローズアップされた事件を取り上げます。

タイトルが何処かで聞いたことのあるもろパクリですが(笑)、琉球・沖縄の歴史において、現代の歴史教科書には記載がなくても社会的に反響を呼んだ事例は多くあります。現代人にこのまま忘れ去られるのも勿体ない面白い事件もありますので、この場を借りてブログ主が調子に乗って幾つか紹介します。

*追記、タイトルを変更しました。大日本帝国時代の出来事にまとめます。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編 結論その2

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重要なことなので繰り返しますが、沖縄県民(とくに本島)は祖先を敬うことと崇めることの区別ができません。典型的な例がトートーメーの男系継承(長男)で、女系が継承すればご先祖さまがお怒りになるという観念は迷信以外何物でもありません*

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編 結論その1

totome-butsugu

すこし調子に乗りすぎてユタについて長々と記述してきましたが、実は現代においてもユタの問題は沖縄社会の裏面に潜んでいて解決できたとは到底言い難い状況です。ではどのようにしたらユタの問題に対処したらいいのでしょうか。

ブログ主が思うに、ユタの問題は元々は前述したとおり

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編9

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ユタの権威を増長させたもう一つの理由は医療行為が未発達だったことです。古来より世界共通で呪術=医術と相場が決まっていますが、琉球・沖縄の歴史においてユタの医療行為が禁止されたのは1884年(明治17)です。1885年(明治18)に医生教習所を設立して西洋医学の研修および医者の育成を始めるまでは、事実上ユタが医術(ウグァン)を行っていた状態でした。(正確には漢方および民間療法とユタのウグァンです)

ユタの医療行為がどのようなものであったかは、詳細な記録がないため不明ですが、沖縄県政五十年(太田朝敷、1931年刊行)の第五、懸の衛生施設と其功程の記述から察することができます。(旧漢字および文語調はブログ主にて訂正)

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと番外編その8

トートーメー

琉球王国の時代において、ユタの問題は深刻なものがありました。為政者にとっては従来の権威に対する挑戦そのものですし、地方自治体である間切あるいは村にとっては秩序維持の妨げになりかねない存在とみなされたからです。それにも関わらずユタの権の暴走を止めることができず、しかも特徴的なのは貴賤職能を問わず琉球王国の女性のほとんどすべてがユタの権威に服従する状態になってしまいます。

何故当時の女性たちは身分を問わずにユタの権威に盲信的になってしまったのでしょうか。その答えは明白で、

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編その6

カーバ神殿

ここでちょっと話が飛びますが、世界の歴史における三大宗教(キリスト教、イスラム教、仏教)において、呪術的思考の排除に成功した宗教はイスラム教だけです。ではイスラム教がどのようにして呪術を克服したのを考えてみましょう。

イスラム教とキリスト教は一神教かつ偶像崇拝を禁止します。この点は共通ですがイスラム教は偶像崇拝を厳禁します。その徹底ぶりは礼拝所にアッラーや預言者ムハンマドの肖像が一つもないことでも分かります。偶像崇拝の禁止を徹底化させることで、呪術的思考の排除に成功しますが、布教から1300年を経てもその精神が継続されていることには驚きを禁じえません。

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