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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編その6

カーバ神殿

ここでちょっと話が飛びますが、世界の歴史における三大宗教(キリスト教、イスラム教、仏教)において、呪術的思考の排除に成功した宗教はイスラム教だけです。ではイスラム教がどのようにして呪術を克服したのを考えてみましょう。

イスラム教とキリスト教は一神教かつ偶像崇拝を禁止します。この点は共通ですがイスラム教は偶像崇拝を厳禁します。その徹底ぶりは礼拝所にアッラーや預言者ムハンマドの肖像が一つもないことでも分かります。偶像崇拝の禁止を徹底化させることで、呪術的思考の排除に成功しますが、布教から1300年を経てもその精神が継続されていることには驚きを禁じえません。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編その5

ユタ(イメージ)

ユタあるいはユタコーヤーの慣習は現代にも存続しています。その根底には現代人にも呪術に対する憧れと恐れの感情があるからです呪術的思考の克服は琉球王国(あるいは琉球藩)の時代であろうと現代であろうと至難の業で、氏育ちや学歴に関わらず呪術にどっぷりはまる人は珍しくありません。

なぜユタを信じるのか(友寄隆静著、月刊沖縄社、1981年刊行)で、著者は実際に14人の現役ユタにインタビューを試みています。そのなかで一番笑えないエピソードが「夏休みになると教師の予約でギッシリというくだりです。ユタは「看板のない商売」ですので、口コミあるいは紹介を経てウグァン(拝み)を依頼するのが一般的です。現代ではウグァン(拝み)のWeb予約もできますが、当時は口コミなど情報入手の手段は限られています。 それでも予約が殺到するところに沖縄社会のユタ問題の闇を感じます

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編その4

うがみんちゅ

前回の記事で琉球王府の為政者たちが執拗なまでに禁令を発布して、ユタを取り締まろうとした理由について述べました。彼らがユタを目の敵にした理由はもう1つあって、それは当時の士族たちが儒学を中心とした漢学で教育を受けていたことです。

首里や那覇、久米、泊の士族は幼少から儒学の教育を受けます。その結果、漢学流の合理性を身につけることになります。では漢学流の合理性とは何でしょうか?それは呪術を否定することです。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編その3

ユタ(昭和46~55年ごろ)

前回でユタの問題のやっかいな点は社会階層の隅々にまでその権威が及んでしまうことを説明しました。では社会階層の隅々にまでユタの影響力が及ぶとどのような不都合が生じるのでしょうか?

現代ではユタの権威と社会を構成する秩序は共存できます理由は内面の良心の自由が権力によって手厚く保護されているからです(日本国憲法第19条、思想および良心の自由*)。日本国憲法第12条*において自由・権利の保持責任とその濫用の禁止が明言されていますが、個人が心の中で思うことに関しては一切の制限をかけないのです。つまり心中では何を考えてもいいのです。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編その1

前回までに琉球王国(あるいは琉球藩)の時代において女性が文字が読めずに学問と無縁な件について記述しました。予定よりも長編になってしまいましたが、この件は琉球・沖縄の歴史を考察する上で極めて重要とブログ主は確信しています。現代の歴史家がこの点について冷淡なのは正直解せませんが、文句を言ってもしょうがないので調子に乗って今回の記事をアップします。

以前に女性が文字が読めずに学問の世界から遠ざけられた結果、伝統主義的な思考から抜け出すことができない件の典型例として、ハジチ(手の甲への入れ墨)の慣習を取り上げました。今回は番外編として当時の社会で(もしかすると現代でも)深刻な問題であったユタの件を取り上げます。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その14

少し長くなりましたが、琉球王国(あるいは琉球藩)の時代において、女性が文字を読めずに学問の世界と無縁であることの弊害について説明しました。その弊害は繰り返しますが

1.18世紀以降、那覇において小売業は発展したが、女性の経営者がついに誕生しなかったこと

2.行動様式が旧態依然で、なかなか伝統的な発想から脱却できなかったこと

になります。とくに2番が重大な弊害で、伝統主義的な思考法の最大の欠点である「新しい時代への対応」が男性にくらべて決定的に遅れてしまったのです。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 挿話

今回は、すこし横道にそれますが前回の記事に貼り付けしたアイキャッチ画像について説明します。撮影時期と場所は不明ですが明治時代から昭和にかけての女子学生の服装の変遷がハッキリわかる貴重な写真です。

写真は「那覇百年のあゆみ、那覇市企画部市史編集室、昭和55年刊行」から抜粋したもので、写真右から順に明治→大正→昭和の順になっています。「那覇市百年のあゆみ」の説明文を参考に女生徒の服装の移り変わりを説明します。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その13

前回ハジチの慣習が廃れた理由の一つに明治32(1899)年に施行された入墨禁止令がきっかけで沖縄県内からハジチセークが激減したことを挙げました。今回はもう一つの理由として女子教育の普及について述べます。

沖縄における女子教育は男性に比べるとだいぶ遅れてスタートします。ブログ主が確認できた最初の記録は明治19(1885)年に那覇市西町にあった師範学校付属小学校に女性徒3名が入学した件です。(那覇百年の歩み、那覇市企画部史編集室、昭和55年発行より確認)

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その12

沖縄本島のハジチ

現代の沖縄県の女性の手の甲は真っ白です。ハジチの慣習は前述した通り大正終わりから昭和にかけて廃れますが、この慣習はアメリカ軍の占領行政時代にも復活しませんでした。この件は沖縄の女性史を考察するうえで極めて重要なので詳しく述べたいと思います。

アメリカ世(アメリカユー)になって復活した(女性の)慣習は多々あります。代表的なのが浜下りですが、神女(ノロ)の年中行事や後述するユタやユタコーヤー(ユタ買い)も復活します。逆に復活しなかった慣習にモーアシビー(毛遊び)とハジチがあります。モーアシビーに関しては今回は取り上げませんがハジチの慣習は何故復活しなかったのでしょうか?

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その11

入墨する琉球女性

琉球王国(あるいは琉球藩)の時代の女性は伝統主義的な思考法から逃れられない環境にありました。前に説明した通り伝統主義的な思考法は良い伝統と悪い伝統を区別しません。だから当時の琉球人は昔ながらの慣習をそっくりそのまま引き継いで社会生活を営みます。

では当時の琉球王国における女性の代表的な慣習は何でしょうか?その答えは手甲への入れ墨(ハジチ)ですハジチの慣習は何時頃から始まったかは不明ですが少なくとも数百年の歴史があり、特筆すべきは貴賤問わずすべての女性たちが手甲に墨を入れていたことです。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その10

琉球士族

前回までの記事で、那覇の女性商人たちからついに近代的経営者が誕生しなかった件を説明しました。ここからは琉球王国(あるいは琉球藩)の時代において女性が文字を読めず、学問の世界から遠ざけられたもう一つの弊害について記述します。それは廃藩置県までの琉球の女性たちが伝統主義の思考法から抜け出すことができなかった点です。

まず初めに伝統主義について説明します。伝統主義は「これまで続いてきた慣習は、その事実だけで絶対的に正しく、今後もこれまでの慣習通りに行動する」という思考法です。旧慣墨守と言い換えたほうが分かりやすいかもしれません。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その9

廃藩置県後の沖縄県の産業経済活動は寄留商人(鹿児島系)などの県外人によって牛耳られてしまいます。廃藩置県後は県内移入の物資と県外移出の商品が激増したため、経理に長けた日本人たちでないと商品の流通を取扱うことができなかったのです。

時代の変化に那覇の女性商人たちは無力でした。彼女らは算数を知らないために巨額の金額を取り扱うことができませんでした。彼女らは従来の露天商売を行うのみで、前述した通り近代的な経営者に転身した人物は一人もいませんでした。

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琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その7

前回で女性が文字を知らず、学問の世界から遠ざけられていたための社会的弊害について記述しました。その弊害は後世にまで及んだのですが、その1つに産業経済の面で女性の経営者がついに誕生しなかったことがあります。

18世紀中盤の琉球王府の政策の一つに士族の商業推奨があります。理由は18世紀になると琉球国の士族人口が増加して、王府が士族全体に職を提供できなくなったからです。王府は士族に対する課税を免訴して他の職業で収入を得るように方針転換します。(ただし士族の子女を尾類(ジュリ)に売る行為は禁止されます)

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