シリーズ

りうきう病の考察

平成28(2016)年5月から運営を開始した当ブログですが、気がついたらあっという間に4年が経過し、まもなく5年目に突入します。琉球・沖縄という地域史のジャンルの中で予想の斜め上をいく新たな発見の連続があり、そして当初の目標である1000記事発信が現実味を帯びてきました。

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これを堕落と言わずして……

今月18日、県庁前の広場で1万枚のマスクを無料配布して現地を混乱に陥れた会社社長さん(68)についてですが、この案件について公開情報を調べたところ、実に面白いことが分かりました。

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民意の証明

ブログ主が先日ツイッターをちら見していた際に、辺野古基地建設の賛否と琉球沖縄独立の賛否のアンケートを実施している投稿を見つけました。

投稿主の経歴に関しては寡聞にして存じませんが、当人は真面目にアンケート活動を行っているように見受けられましたので、現在の琉球独立の問題点についてブログ主もまた真面目に考えて所見を纏めてみました。その前にアンケート結果をシェアしますのでご参照ください。

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乾いた笑いしか出てこない

最近ネットサーフィン中に偶然ではありますが、少し前の琉球新報社説が目に留まりました。その内容が(ブログ主からみて)失笑そのものでしたので、早速突っ込み記事を作成しました。

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命どぅ宝とは

今回はちょっと意地悪いお話をします。我が沖縄において人口に膾炙した言葉に”命どぅ宝”があります。この語句は特に米軍基地反対運動などの反戦平和活動の分野で利用されますが、文字通り解釈すると「(なにはさておき)命こそ宝」になりましょうか。

ちなみにこの価値観を身をもって実践した人物が尚泰候(1843~1902)です。その一例を紹介しますので読者のみなさん是非ご参照ください。

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沖縄の成人式 – 昭和54年以降番外編

(続き)これまで昭和54(1979)年から56(1981)年までの小禄地区における成人式関連の記事を掲載してきました。護憲反安保県民会議などの民主団体が中心となった反自衛隊闘争の裏面史になりますが、記事に目を通したあとに嫌な気分になった読者もいらっしゃるかもしれません。

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沖縄の成人式 – 昭和54年以降その3

(続き)今回は昭和56(1981)年度の小禄地区における成人式開催において、護憲反安保県民会議等を中心とした”反自衛隊闘争集団”とそれに対抗する小禄地区実行委員会の顛末について言及します。

前回(昭和55年度)、小禄地区の実行委員会が警察および機動隊を手配・導入したことで阻止団も何らかの対策を取らざるを得なくなります。その手段として阻止団側は行政から小禄地区の実行委員会に”圧力”をかけるよう要請します。

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沖縄の成人式 – 昭和54年以降その2

前回の記事において、昭和54(1979)年の那覇市小禄地区における成人式の混乱について言及しました。自衛隊員の成人式参加を阻止するために、阻止団が小禄地区成人式実行委員会の許可を得ることなく検問を実施し、実際に自衛隊員を追い返したことは実行委員会のメンツをつぶした行為に外なりません。翌55(1980)年の成人式を円滑に開催するためには、

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沖縄の成人式 – 昭和54年以降その1

今回は季節柄の話題として、昭和の沖縄における成人式の”風物詩”について言及します。平成以降は”沖縄の成人式”と題したウィキペディアが編集されるなど、そのあり方が物議を醸していますが、復帰後の成人式は労組や民主団体などにおける”反自衛隊闘争”の活動現場として地元メディアによって大々的に報道されてきました。

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【暫定】戦後の施政権者が沖縄に対して行った鬼畜非道な所業で打線を組んでみた

以前”【暫定】大日本帝国が沖縄に対して行った残虐非道な所業で打線を組んでみた”と題した記事を掲載したところ、予想の斜め上を行くアクセス数がありました。2番煎じになりますが、今回は沖縄戦以降のアメリカ世から復帰後の施政権者(米国民政府、琉球政府および日本政府)が我が沖縄に対して行った悪行について打線を組んでみました。

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【暫定】大日本帝国が沖縄に対して行った残虐非道な所業で打線を組んでみた

今回は復習の意味もかねて、大日本帝国が沖縄を支配していた時期(1879~1945)年における悪行について打線を組んでみました。本来は別の記事を掲載する予定でしたが、前日フェイスブックに面白い投稿&リクエストがありましたのでそれに応える形になりました。

ブログ主は朝鮮半島の歴史はよく知りませんが、「日本が朝鮮にした恐ろしいこと!!!」という画像をみて「大日本帝国マジやべー」と思った次第であります。我が沖縄も朝鮮半島のように日本帝国主義の残酷極まりない仕打ちにあったのかと思うと胸が痛みます。とくに女性たちが気の毒で涙がとまりません。読者のみなさん心してご参照ください。もちろん異論は認めます。

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ぶっそうな琉球社会

いまさらですが、アメリカ世の時代は琉球・沖縄の歴史上もっとも物騒な時代だったと考えています。象徴的なのが “交通事故” と “未成年者犯罪の激増” の頻発で、そこから生じる治安の悪さは琉球社会の大問題になっていました。

ちなみに治安が悪かった理由のひとつには、戦後の人口増に対して琉球警察の人員が足りなかったことがあります。たとえば中部地区で最も犯罪が多かったのが美里村吉原(当時)ですが、昭和38(1963)年の記事をチェックするとなんと警官不足で派出所が設置されていません。

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仮説『万国津梁の碑文』- その2

前回の記事で”万国津梁の碑文”についてブログ主なりに説明しました。今回はなぜ尚泰久王が仏教に”ハマったか”について考察します。

ちなみに尚泰久王は明暦景泰5年(1454年)、46歳の時に即位して、1460年に亡くなっています。その間に建立した寺院の一覧は下記参照ください。

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