シリーズ

浦添朝満の謎 – その(1)

今年に入って、「二代目聞得大君の謎」と題した記事を3回配信しましたが、実はブログ主の予想の斜め上を行く反響がありました。その際に、二代目聞得大君こと峯間(みねま)の史料をできる限りチェックしたところ、向氏小禄家(一世朝満)の一族に関する思いがけない事実に気が付きました。

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りうきうと “くろんぼ” とイソップ物語

昭和の話ですが、我が沖縄では黒人のことを、普通に「くろんぼ」と呼んでいました。もちろん、今では「ヘイト・スピーチ」扱いになるため、(高齢者以外は)ほとんど使わなくなりましたが、ちなみにいつ頃から「くろんぼ」と呼ぶようになったのか考えたところ、実はいまいちよくわからないのです。

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日子思想と「そんとん」

前回までアップした二代目聞得大君の記事に関連して、ブログ主は峯間聞得大君(と思わしき)オモロを複数チェックしました。今回は、その過程で改めて気づかされた古りうきうの為政者たちの宗教観の変遷について調子に乗って言及します。

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二代目聞得大君の謎 – その3

(続き)前回の記事において、系譜上では浦添朝満の長女である峯間(聞得大君)が、血統的に慈山より格上だったとの仮説を提示しましたが、今回はこの点に関して、ブログ主なりに調子に乗って説明します。

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“琉球国民” の考察

ここ数日、ブログ主らしからぬ真面目かつちょっとホラーな記事を掲載してますが、史料作成中たまたま琉球独立に関するじわじわくるツイートを見かけましたので、息抜きがてら調子に乗って言及します。

※「二代目聞得大君の謎 – その3」は次回アップします。

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二代目聞得大君の謎 – その2

(続き)今回は二代目の峯間聞得大君について考察しますが、彼女の存在は史料上で二例確認することができます。一つが18世紀初期ごろに編纂されたと考えられる『女官御双紙(にょかんおそうし)』、もう一つが向氏家譜(小禄家)の一世浦添朝満(うらそえ ちょうまん)の項です。

※実は「峯間」の読み方が伝わっていないため、とりあえず日本語の「みねま」のフリガナを宛てておきます。

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二代目聞得大君の謎 – その1

今年に入って、ブログ主は運営ブログ内の記事を大整理していますが、思った以上に「未完の記事」があることに気が付きました。その中の一つに “古琉球の深淵 – おぎやかの謎(1)” と題した記事があり、連載当時は興味深いテーマだったので、史料集めなど気合を入れて作成したのですが、気が付いたら続編をアップすることなく、1年以上放置されていました。

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俺が疲れ直しに那覇市辻を散策した結果……

本日、ブログ主は沖縄県立博物館に籠って、「おもろそうし」の写本や必要な史料をコピーしてきました。ひさびさの写本作業はさすがに疲れたので、帰りがけに疲れ直しに那覇市辻町を散策中、じわじわする光景に出くわしました。せっかくなので写真撮影し、当ブログでアップします。最近真面目なネタが多かったので、読者の皆さん、息抜き代わりにお愉しみください。

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今帰仁延子さんの考察 – その3

(続き)10代の経験が、後年に及ぼす影響についてはよく知られていますが、今帰仁さんも例にもれず、13歳から17歳までの4年間に受けた教育がその後の生きざまに決定的な影響を及ぼしたことは間違いありません。

その前に、彼女が如何に “特別な存在” であったかについて同級生の証言を紹介します。

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今帰仁延子さんの考察 – その2

(続き)今回は、ブログ主が確認できた史料を基に、作成した今帰仁延子さんの年表をアップします。すると、幼少期の体験が今帰仁さんに決定的な影響を与えていたことが理解できますので、そのあたりをできる限り、そして調子に乗って分かりやすく説明していきます。

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恐怖の白い粉(6) 原産地とルート

タイ国、専売制度を設け売りさばく いわゆる「発見の時代」にヨーロッパ人がやってくるまで、東南アジアの人々は、アヘンを知らずにいた。アヘンが公然と流れるようになったのは十九世紀。それは、十八世紀にイギリスの「東インド会社」が中国にアヘンを持ち込んできたのが最初だという。アジア人にアヘンは膨大なもうけになることを教えたのは今世紀になってからといわれる。一九二〇年ごろになると、タイ政府がアヘンから吸い上げた利益は、国庫収入の十五二〇%を占めたという。

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恐怖の白い粉(5) 運び屋

現役女性軍人が重要な役割 麻薬を運ぶ方法は、直接人間が持ち運ぶのと、物だけを送るという方法があるのは前回で述べた。もっぱら人間に運ばせていた沖縄マフィアの場合はどうだったか

運び屋ハリー・キャッシー(二六)は現役女性軍人である。彼女は沖縄マフィアの中でも重要な任務を背負っていた。県警では、春先に得たいくつかの有力な情報から運び屋の中心人物はキャッシーに間違いないとの確信を持った。それ以後八月十日に逮捕されるまで、まる五カ月間の追跡が昼夜を徹して行われたのである。張り込みにつぐ張り込みが根気強く続けられた。

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今帰仁延子さんの考察 – その1

年末から年始にかけて、ブログ主は可能な限り時間をつくり、過去に蒐集した史料の整理・整頓を行ないました。その際、昭和43年(1968)7月5日に起こった「琉球銀行若松支店強盗事件」の新聞史料をチェックしたところ、驚くべき記事を発見しました。

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“長寿県沖縄” という戦後最大のユクシムニーの考察(3)

(続き)前回の記事の〆で、「長寿県沖縄というブランドを確立してジン儲けしようという品性卑しい大人が存在する限り、県民が本気で生活習慣の改善に乗り出すことは絶対にありえない」などど、ブログ主らしからぬ(?)キツいことを言ってしまいましたが、実はちゃんとデータがあっての発言なのです。

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“長寿県沖縄” という戦後最大のユクシムニーの考察(2)

(続き)前回の記事において、「平均余命の順位低下は生活習慣があまり好ましくない面があるのも否めません」と言及しましたが、ハッキリいって我が沖縄における平均余命の順位急降下の直接的な原因を特定するのは極めて難しいと言わざるを得ません。というのも、実はこの案件、「必ずこうなる」との十分条件なんてどこにも存在しないのです。

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