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琉球・沖縄における国防意識の変遷 その3

King_Sho_Tai

前回は嘉靖年間(1522~1566)時代の琉球国における国防意識について記述しました。今回は琉球藩時代について考察します。慶長14年(1609)の薩摩入り以降、琉球王国は薩摩の実効支配下に置かれます。そうなると琉球国の国防は日本(薩摩藩が担当)に依存せざるを得なくなりますが、結果として王国は幕末期まで外国からの侵略を受けることがありませんでした。保国(国防)の観点からすれば日支両属(日本と清国と両方に属する)体制は極めて有効であったと言えます。

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琉球・沖縄における国防意識の変遷 その2

現代の沖縄県民(とくに旧革新勢力)の国防に対する意識、つまり「基地があるから攻め込まれる、だから米軍基地に反対。自分達が相手に攻め込む意志がなければ、相手から攻め込まれるはずがない」という考えかたは、第二次世界大戦の沖縄戦、およびアメリカ世を経験したことによって生じたもので、もちろん琉球・沖縄の歴史全体を貫く永続的なイデオロギーではありません。当然ながら時代によって時の権力者たちの国防意識は変遷しています。

たとえば嘉靖年間(1522~1566)の大倭寇に対する琉球王国の対応ですが、時の国王尚清(1527~1555)は倭寇襲来の可能性が伝えられると、1546年に首里城の城壁の改築、および1551年に那覇港に砲台を築いて警備体制を強化しています。このあたりの事情は現在の歴史教科書ではあまり取り上げられていませんが、今回ブログ主が伊波普猷先生の『古琉球』から一部文章を抜粋しますので是非ご参照ください。(琉球に於ける倭寇の史料、旧漢字はブログ主にて訂正)

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琉球・沖縄における国防意識の変遷

Chobyo_Yara

先日、昭和52年(1977)朝日新聞社刊行 『屋良朝苗回顧録』を読んでいるうちに、面白い一節がありしたのでこの場を借りて紹介します。全文を掲載しますのでご参照ください。

「安保」・「基地」 反対を貫く

あるとき、私はアンガー高等弁務官に呼ばれ、私の主張に関して二つのことを聞かれた。一つは「基地反対」が理解できないということであり、もう一つは、「安保反対」とはどういう意味かということだった。

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SNS 「領事裁判権」についての訂正記事

前回コラム「亞米利加合衆國琉球王國政府トノ定約」のなかの第四条の解釈についてフェイスブック上でご指摘がありました。投稿者は玉城有一朗先生で、その内容を掲載します。

領事裁判権は実際に領事を交換して成立します。該当の条文にあるのは、①琉球役人が米人の容疑者を捕縛したとき、彼らを罰する前に、②米人の属する船主に通告してから、役人は職務を執行しなさい、ということです。琉球国は米国に領事を派遣してはいません。ここは厳密に解釈するところです。

一 合衆國人民、上岸、俱要任從其遊行各處、毋得遣差追随之、窺探之、但或闖入人家、或妨婦女、或強買物件、又別有不法之事、則宜地方官拿縛該人不可打之、然後往報船主自能執責

・合衆国船中ノ人上陸ノ節ハ附添人或ハ所業監察ノ官員ナクシテ随意ノ所へ徘徊自由タルベシ、然レドモ強テ人家ヘ踏ミ入リ女ニ戯レ人民ヲシテ無理ニ物品ヲ買シメ其他不法ノ挙動イタサバ地方官ニテ召捕フベシ、最モ麁暴ノ取扱アル可カラズ、而メ刑罰ニ付テハ其船主ヘ報知スベシ。

琉米修好条約の上記条項が実際にどのように運用されたかはまだ確認ができませんが、条文を再チェックすると玉城先生のご指摘が正鵠を得ていることが分かります。ブログ主(および Wikipedia の編集者)が勘違いしていたことも再確認できました。

当時の琉球国は米国に領事を派遣していませんし、上記条文には「報知」あるいは「然後往報船主」と記載されていまして、これは船主側で裁判を行う意味ではありません。故に琉球国が国家主権を行使して相手国に対して「領事裁判権」を認めたとのブログ主の記述も間違いであることが分かりました。この場を借りて訂正します。そしてわざわざご指摘いただいた玉城先生に対して感謝の意を表して、今回の記事を終了します。

2017年5月6日 とある Facebook の投稿に対して思うこと 続報

5月6日の石嶺香織市議のフェイスブックへの投稿→その投稿を見た支持団体の南西諸島ピースネットの関係者がファミリーマートに苦情を申し入れて自衛隊のDVDを撤去させた件の続編です。案の定5月9日のネット上では炎上していました。ブログ主もこの件で記事を配信したので結果的には炎上に一役かった形ですが、今回の問題点は

石嶺さんの投稿がキッカケで支持団体が動く→実際にDVDの撤去の流れ。

になったことで、彼女が政治家の発言の重みをまったく理解していないことを再表示したことです。しかも支持団体の南西諸島ピースネットが良かれとして行った抗議活動が結果的に石嶺さんを窮地に追い込んでしまいました。だからブログ主は前回の記事において南西諸島ピースネットの対応を「稚拙」と表現しました。その流れを把握した上で、5月11日の沖縄タイムスの記事全文を掲載しますのでご参照ください。

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とある Facebook の投稿に対する琉球新報社の態度について思ったこと その4

20170331

3月9日の石嶺市議の Facebook 上での舌禍から始まった一連の騒動を省みると、現在の沖縄においてもまだ根強い軍隊の本質への誤解と、自衛隊および自衛官に対する差別感情があることがハッキリわかります。この差別感情は歴史を顧みると、沖縄県民は未だに平等の観念を実感していないことに行き着くのですが、

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とある Facebook の投稿に対する琉球新報社の態度について思ったこと その2

3月21日の宮古市議会で、石嶺香織議員に対する辞職勧告決議が賛成多数(賛成20、反対3)で可決されました。同市議会で辞職勧告決議が可決されるのは初めてとのことです。理由は「投稿は自衛隊員、米海兵隊員に対する職業差別であり、断じて許すことができない暴言と言わざるを得ず、市議会の品位を著しく傷つけるものだ」とありますが、石嶺議員は勧告を拒否しました。その件に関連して、22日の沖縄タイムスに興味深い投稿が掲載されましたので、全文を掲載します。

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とある Facebook の投稿が絶賛大炎上した件  最後に

キャプチャ02

3月9日の石嶺市議の Facebook への投稿がきっかけで大炎上を起こした件について、最後にネット上でどのような批判、擁護の投稿が行われたかについて記述します。

批判については、3月12日のサンケイの記事あったように「思想信条は自由だが、自衛官を強姦魔扱いは許されない」の論調が多かったです。擁護の投稿は見つけるのが難しかったのですが、ブログ主が一番(というか桁外れに)惨いと思ったのは 3月12日にTwitter 上で投稿されたこの文章です。

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とある Facebook の投稿が絶賛大炎上した件  その後

20170313

前日記事にした宮古市議の石嶺香織さんの Facebook への投稿が大炎上した件の続報です。

当ブログにおいても、この件に関する記事へのアクセスが非常に多くて、なんと公開2日目にして人気の記事ベスト10にランク入りしました。おそらくすでに削除すみの彼女の投稿はスクリーンショット等で画像保存されて、ものすごい勢いでネット上で拡散されたことが伺われます。

3月13日の0時41分付けで、Facebook  石嶺かおり後援会~てぃだぬふぁネット~上に石嶺かおり名義での謝罪文が投稿されました。全文を掲載しますのでご参照ください。

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とある Facebook の投稿が絶賛大炎上した件

すでにネット上では大炎上していますが、3月10日の Facebook に物騒な内容の投稿がアップされ(後に削除)、本人が弁明の投稿(これも後に削除)された一件の記事を掲載します。投稿者は宮古島市議の石嶺香織さんで、先ずは下記全文をご参照ください。

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俺が調子に乗って『琉球紀行』を解説するシリーズ その1

では今回からブログ主による『琉球紀行』の解説をスタートします。その前にルールを説明すると、

  • ページ順に解説予定も、現時点で説明が困難な部分は後回しにすること。
  • 旧漢字は現在の漢字に改めて掲載することと、ブログ主の裁量で句読点を追加すること。
  • 口語訳は行わないこと、本文および解説分を掲載。

になります。史料は国立国会図書館デジタルライブラリー公開分、および『沖縄県史』第14巻に掲載文からの抜粋になります。本文は青字で記述しますが、文語に慣れない読者は読み飛ばしても構いません。ブログ主ができるだけ判り易く解説をしますので、最初は解説の部分だけお読みください。

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俺が調子に乗って『琉球紀行』を解説するシリーズ~プロローグ

今回から、明治9年(1876)刊行の『琉球紀行(河原田盛美著)』の解説を中心に記事を掲載します。実はブログ主は文語や候文なんて代物を学校で学んだことがありませんので、初めてこの著作を読んだ時は正直意味不明でした。現時点ではようやく内容を把握できるようになったので、敢えて(というか無謀にも)この著書の解説に挑みます。

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